別子銅山〜中七番           .
別子銅山図版画

縦58.8cm、横46.3cm

本版画は明治23年(1890)5月の別子開坑200年を記念して
作成されたものであり、同年9月1日13代家長友忠は
「別子銅山ノ記」という讃を記した。讃に「二十世孫」と
あるのは、住友家系図の備中守忠重から起算してのことであろう。
なお、本版画には和文讃だけのものも作成され、
11月1日付で銅鏡形文鎮と共に関係先へ配布された。
(住友別子鉱山史別巻図録解説より)


正面の一番低くなった所が銅山越です。
左の高い山が西山 その奥に笹ヶ峰か黒森山でしょうか
右が東山です。覆いかぶさるように西赤石山が描かれています
中央に足谷川があり橋が架かっています。
そして赤く塗ったのが別子銅山から中七番へと続く車道です。
モーターの付いた車ではなく 馬車・牛車・人力車の類です。

この道が残っています。
住友別子鉱山史別巻10ページ 別子銅山図版画(一部分のみ)
   
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上記絵図ではほぼ直線で描かれていますが
実際は大きく曲がっています 距離は約6kmほどあります。
標高は劇場跡が 960m  中七番の橋(フォレスタではない)
が950mぐらいですので ほぼ水平の道です。
道幅はわかりやすい所で測ってみると3.2mありました
牛車・馬車・人力車なら2車線道路のようだったのでしょうか
明治14年の写真です。これには人力車や人が写っていて、この中には
広瀬宰平がいます。広瀬は別子銅山を視て、三ツ森峠(杖立)を越して土佐へ
入り、また別の峠を越して筏津へ戻って視察を終えているのですが、この写真は
おそらく土佐へ向かう途中だと思います。場所はよくわからないのですが、おそら
く中七番ではないかと思います。
明治14年にはすでに中持ちさんの数が少なくなっていましたから、牛車・馬車を
使うために道を造りました。
おそらくその道は、いまのなすび平まで続いていたのではないかと思います。
(山村文化34号20ページより) 写真は「旧別子の面影」より

          旧別子 劇場跡から          

「明治の別子」(伊藤玉男著)より一部分 
  明治中期の別子銅山
劇場跡の大階段を降りて突き当りが崖になっています。
ここに橋が架かっていたと推測します。
川にせり出すように石積みがしてあります。
ちょうど橋台のようです。
  

Eの尾根から県道に降りる道があります。

 砂防ダムの下流を渡ります

すぐ上に道の石垣が見えます
幅の広い道が続きます Aの地点 迂回してください 迂回も危険 B 朝日谷集落跡 足谷川まで集落跡の石垣
  
眼下に旧別子登山口が見えます Dの地点 谷は道がないものと思っても良いぐらい
車道が流されています 木の橋が架かっている
Eの地点 10分足らずで尾根から県道に
  降りることが出来る
  

E〜Fの間は地図 等高線が詰まっています。急斜面です。
 F〜Gは住友共電鉄塔巡視路のため整備されています。

 名残の石垣が残っています

木の橋もありますが 当時のもの物とは思えません
崖に車道を通しています わずか数cmしか
 残っていません
崖崩れの跡があります 最近のものです この谷は崩れています 橋は朽ちています。
谷に下りて向こう岸に渡ります
Fの地点です。 橋が朽ちていて山際を渡ります ここからしばらくは道が良い 谷にも鉄製の橋がかけられています。


手すりはないが鉄製の橋


谷は深いのでこの橋は助かります。
  
Gの地点 鉄塔があり ブロック造りの小屋がある
 
Gの地点
県道に降りる道が付いている
住友共電鉄塔巡視路です。
巡視路ではないので 早速藪になります 植林地帯の中は歩きやすい H崩落現場です 何とか歩けます
倒木も沢山あります。 上部に林道がつき ここで道が途絶える 上部の林道に出る 
Iの地点 県道に降りる道がある 林道を進む この林道は昔の車道を拡張したものと思う Jの地点 上の道が車道です 車道を行く
昔のまま残っているのでしょうか 谷は道がないと思っても良いぐらい崩れている K右岸の橋台が崩れている。
L大きな谷ですが 橋台は残っていますした M県道に降りる道がある ここからは地図にない道


M〜Oは地図に載っていない道です。 
 緑の線は中部歩道 ここから なすび平にと続きます

県道がすぐ下に見える距離になった

地図に載っていなくても道は残っています 県道の落石防止の金網の杭がここにある 排水溝の残った石垣
思うほど藪になっていなかった Nにの地点 こんな遺跡が残っているとは 県道の標識が見えて 道は途切れた。
約6kmの旧別子から七番までの車道の全容です。
県道に降りる道が至る所にあるので 3回に分けて取材しました。
車道が谷を通るときは橋を架けていましたが 通行できる橋は少なくなりました。
谷の上か下かに迂回しながら歩きます。危険なところもあるので登山気分での
通行はやめた方が良さそうです。
Nの地点 ブロックの上が旧別子まで続く道だった O