第一次泉屋道 芋野から小箱越まで
 明治41年の地図 赤い線が第一次泉屋道と思われるが 泉屋道より200年後の地図なので詳細は分からない
 村が出来たとき人は この道を通って入ってきたと言われている。別子銅山が出来るまで 「天満道」と呼ばれていた
  
 今トレース出来たのは上の赤い線のみです。 大木谷の紫の線は崩れて跡形もないようです
 迂回するように山林作業道は付いていますがこれは泉屋道とは違うようです。

           芋野から尾根まで           


赤い線は泉屋道です
県道131号が延びています
 
芋野から来ると御薬師堂の北に出ます
そこから まっすぐ東に道が付いていたようです。
赤い線が泉屋道と思われる。
民家が少なくなり 畑が荒れ放題になると
木々が茂り道は通行できなくなっています。
迂回をして集落のはずれの 民家跡の石垣まで
きました バラのある植物が行く手をさえぎります
集落の外れまで来ると道がついています
木と木の間に細道(当時は広かったかも
わかりません)が現れました。
  
ほぼ水平に道がついています。
歩いてすれ違えるほどの広さでしょか
やがて 崩れて通行できなくなっていました
仕方なく崖を下ります
谷に出ました。
谷の石積が残っていました。
谷からは広い道が着いています
急な上り坂になります。
こんなに広い道は 軍用道路かな?
  
すぐ上に コンクリートの楊壁が見えます
県道です
別子山土居線の県道131号に出ました。 県道を少し歩くと 県道上に道らしき物を
見つけ追跡をする。
  
細い道が付いている 下に県道が見えるが
だんだんと遠ざかる
穏やかな第一次泉屋道になった。 県道の庸壁の下に 泉屋道があった。
  
泉屋道を確認しながら歩くと下に工事現場がある
上水道の工事現場だ。Bの地点
地図を見てもわかるように 泉屋道と県道が
交わった所で 泉屋道はこの間途切れてしまって
いる赤い線が尾根までの泉屋道である
ここにも石積みが残っている
  
坂道ではあるが 急ではない なだらか 所々 石が落ちていたり 倒木のある 石積みの続くところもあります
  
石積なども残っており軽快に歩くことができる 笹道になるが2から3分で尾根が見える 尾根に出る Cの地点
    泉屋道と県道がすぐ近くにあるが 交わってはいない  県道は尾根の西側を 泉屋道は東側を通る  南に下るとお社が祀られている
尾根の一番高いところにお社がありました
芋野を見下ろせるところにありよく管理されていました

御薬師堂を管理されている近藤さんがここも管理され
おりました

「石槌さん」と呼ばれています。
  

           尾根から木の庸壁下     



Dの尾根の周辺ですが 
2万5千分の1のこの地図は間違いで
Dの地点で県道は尾根の西側を廻っている。
上記の赤い線が本当の地図です。

泉屋道は左の赤い線の通り道が残っていました

  
入口は藪になっていてわかりにくい 尾根から道があった。細い道である 崩れかけているところもある
  
石垣が残っていた。珍しいことです。 県道が出来るまではこの道を通っていたのだろう 県道にぶつかり 泉屋道は消滅している。
  しばらくは第一次泉屋道は 県道となってしまっている
  
Eの地点から 降りてみる 道があった がけ崩れで泉屋道が寸断されている 結構広い道だった事がわかる
  
Fの地点 ここから県道に登る道がある 県道に登るとここに出ます 木の庸壁がある所です

           木の庸壁下から林道終点下     

FからIの地点に通じる道があります
G地点から 一度谷に降りて I付近に
登る道です。私の想像ですが近年になって
GからHが通行できなくなり 最短距離の
谷に降りる道を付けたのではないかと
思います。 重い荷物を背負って歩くには
紫の線のような 平坦な道でないと疲れる
  
Fの地点 平坦な道が続いています こんな道が良く残っていると感心する Gの地点 ここから急激に下る道になる 作業道の
ようです。谷まで下りI近くにでる 
  
水平に進むと 道はありません 崩壊か 植林地帯になり 道もない 斜面は小石の傾斜になり 道を見つけるのは
無理と判断し引き返す
  
Hの地点 すぐ下に谷がある 藪を少し行くと 道らしき跡がある 細かったり 崩れたりしているが 第一次泉屋道と思われる
  
県道がいつ頃ついたのだろう。
それまでは この道が 小箱越の道だった
昭和初期には別子山から土居に抜ける主要道
だった。
地図にあるように水平の道です。 Iの地点 ここから尾根道で県道終点にでられる
  

           林道終点下から谷     

IからJまでの道をご案内します
わかりやすく 歩きやすい道です
Iまでは県道終点から尾根伝いに
下る道があります。
5分ほどで降りられますが急坂です。
  
広くはないが平坦な道が続く 谷が見えてきました。 谷に沿って遡ります。対岸の絶壁が見える
お墓が在ります この周辺にたくさんあるそうです 広い所です  一息入れるといいですね。 ここから上流には行けません 対岸に渡ります

          谷から尾根(七曲り)   

「七曲り」と呼ばれている急坂が尾根まで続く 赤い線がGPSの軌跡 緑の線が補正した道
  
植林地帯を歩く 道がわかりづらい どこに道があっても おかしくはない斜面 Kの地点 I地点から25分ほどかかりました
  

          尾根(七曲り)から小箱越   

登山道
県道終点の100mほど手前に峨蔵越・二ッ岳に向かう
登山道がある。今も多くの登山者が山頂を目指す。
この道は別子山開村時に住民が土居から入ってきた道
とも言われている。

軍用道路(馬道)
第2次世界大戦時 日本陸軍が瀬戸内海側から太平洋側に
物資を運ぶ道路として作った道路です。
Kの地点から小箱超まで45分ぐらいかかりました。

軍用道路を歩いた人がいます。国土地理院の破線の道は
少し違うようです。上記赤い線が道のようです。
   
緩やかな斜面の植林地 広い第一次泉屋道です 足が進む 広葉樹と植林地帯の境の道です
もうすぐ 小箱越です 小箱越 歴史に名前が出てくる峠ですが 現地は何もないところです 枯れ木に小さく小箱越と書いて
くれていますが 道標も案内板もない所なので通り過ぎないように。