2023年11月5日、10:08 宿 |
最近 別子銅山炭の道の散策に凝っている。
元禄から明治時代の古道探索だ
西條の新寒風山トンネルの入り口に 川来須と言う集落がある。
そこから 別子銅山まで いかに運んだのか
現場取材に行ってきた。
「宿」(しゅくと読む)は炭の集積場所
「西山越」は西條藩から別子銅山のある天領に越える
いわば国境である。
国道194号線の下津池にある止呂橋を渡る。 渡ると狭小の山道になる。登山口まで40分ほどかかる。 |
25分ほど走った所から舗装がなくなる。二駆でも走れたが、四駆がほしい | |
10台ほど駐車していた。紅葉の時期だから多い | 炭の道か? と思ったら 違うようだ | |
登山者と出会う。山好きグループの9名 先頭のガイドさんがしっかりしていた。女性の山岳ガイドさんのようです。 | しんがりは西条市の高橋さん。この人に炭の道を教えてもらった。50年も前からこの山を登っている超ベテランさんでこのグループ(ふれあい山岳会?)の代表者らしい。ありがとうございました。 | |
一行は笹ヶ峰をめざした。お年をめされた人が多かったのでゆっくりと登られている。 | さて「宿」です。 植林の杉の木立の中にあり、広い。以前にもたくさんの写真を撮ったが今回は炭の道と言う事で取材します。 |
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石垣が残っています。明治18年から藤ノ石村で炭の調達がはじまり、明治20年川来須に製炭分課を置いています。その当時にここも作られたと思います | お茶碗や湯呑のかけらがあり、生活の匂いもありました。 | |
広い。とにかく広い所です。広場は何カ所かに分かれますが、地図上でも一帯の等高線が広い | よく似た地形に「なすび平」があります。かんば平もよく似た炭の集積場所です。 | |
炭も落ちています。大きなものはなく、木の根に取り込まれています。年代を感じます | 証拠の記念撮影 | |
西北のはずれは、広葉樹の林になっていて、一日楽しめそうな場所でした。 | 宿から西山越に向かう道は、馬道と思われる。緩やかで、曲がり角が登山道と違い、カーブが大きい。 | |
落葉松が見られた。旧別子だけかと思ったが、ここにもあった。 | 炭窯の上に登山道が出来たようで、道の両側に炭があった。 | |
植林地帯を歩く。緩やかな登りの道だ。 | 西山越 標高1447m この峠は 江戸時代からあったと思われるが明治になり 多くの炭が運ばれるようになり、馬も通れる峠になった。いつ頃から馬が通ったかは、これからの調査になる。 |
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井桁マークの石柱があった。この辺りも住友の山だった証しだ。もう少し上の尾根にもあった。 | 西山越から別子銅山に向かう道はこの様に崩壊し 行くには危険だ。エントツ山さん一行はこの道を別子銅山まで歩いている。勇気のない私には無理。 | |
行ってみたい気があるので、ガレ場を避け、尾根から下ると、炭の道が現れた。少し満足 | 西山越から丸山壮に向かう。緩やかな登りの道。よく手入れがされている。落葉松発見 | |
石鎚山。二日前に登った瓶ヶ森が見える。 | 丸山荘 窓があけ放されていた。宿で会った登山者が2名、休んでいた。残りの一行は山頂に向かった。yamapでは所要時間50分 | |
宿に降りる。 西条の高橋さんから教えてもらった 天ヶ峠の道を歩くことにした。 |
「砂を敷いた幅2mぐらいの道がある」もう砂は無かったけれど迷わず道を発見。高橋さんに会ったお陰で、新しい展開が始まった。山の神様 ありがとう。 | |
炭の古道らしく 石垣が残っている。この辺りの登山道は石垣まで付いていない。 | 標高1300mの水平な炭の道 馬道だったようだ | |
谷にコンクリートの溝が現れた。萩生の森さんのホームページにも載っていました。 | 今日は ここまでとする。約30分ほど歩いた。次回は誰かを誘って来たい。一人では 心もとない。 | |
無事下山しました。 | 次回は川来須から登ってみよう。川来須大師堂 | |
天ヶ峠の登山口はこの辺のばす。 もう一度 よく調べて来よう。 |
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本日の行程 |
登山口 | 8:38 | 活動データ タイム 06時間7分 距離 7.5km |
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宿 | 9:45-10:46 | ||||
西山越 | 11:20 | ||||
丸山荘 | 12:18 | ||||
宿 | 12:51 | ||||
天ヶ峠へ途中まで | 13:17 | ||||
宿 | 13:50 | ||||
登山口 | 14:45 |