2009/06/28
この写真は、私の人生を大きく変えた記念の1枚である。
 よく見ると、ど真ん中に 私が写っている。
  撮影者は 春秋氏
この石垣。何とすごい事だろう。山城か? 砦か?
 別子銅山の産業遺産だと言うから 驚く!
春秋氏は、何時の頃からか、別子銅山に取り付かれているらしい。
 ここにやって来ては、遺跡を調べている。
私も別子山村の生れであるから別子銅山ぐらいは知っている。
 だが 学問的に言えば 無知である。
春秋氏が石ヶ山丈・角石原を調べているのなら
 私は旧別子を探索しよう!。
  そう決心したのが この日 2009年6月28日である。
 
    
日曜日の朝 春秋氏から連絡があって
今から「いしがさんじょう」行くんだけど 
   行く?
 「いしがさんじょう」初めて聞くなぁ
  面白そうな名前だなぁ 「行く!」
昼前に四駆で迎えに来た。

 話によると山の中らしい。
  
種子川を登り「林道石ヶ山丈線」に入る。 途中からおっさんが付いてきた。
  ここから車では行けません。
  
  私も春秋氏も沈砂池と呼んでいたが 今は水槽と呼ぶのが主流となった
牛車道を歩く。 すぐに牛車道と水管の交差点に着く
  
水管が施設されていた。もう上に水槽が見える 水管の台座が連なっている。
足元に水管の一部が転がている
  
煉瓦造りの水槽 水門
  
当時は草木に覆われていた。行くたびに切っていたが追いつかない。
  
淀水路を追っていく 上に横水路が見える
  
横水路の淀水の施設 横水路
  
横水路から牛車道を石ヶ山丈に向かう
   
いしがさんじょう こんな字だった
ここから向こうが石ヶ山丈停車場
 
とにかく広い。この山の中に駅があったのだから広いのは当たり前。何も知らないでついてきたのだが素人ながらすごい施設だった事がわかる。
 
停車場とは駅の事である。今は駅で統一されているが、法改正の前に角石原停車場が操業を止めていたので名前がそのままだと言う。石ヶ山丈・角石原・一本松は停車所。端出場・星越は駅
 
煉瓦造りの溝 どう使われていたのかはわからなかった。奥に索道場がある
 
索道場の台座 ここから打除に鉱石を降ろす お昼にしました。
 
_鉱山石ケ山丈、索道并倉庫 より
 
石ヶ山丈を後にしました。この日が一生忘れない日になりました。別子銅山勉強の出発地です。