コースタイム
大永山トンネル
登山口着 6:05
登山口出発 6:13
銅山越と笹ヶ峰の分岐 6:55
土山越 7:00 7:17
馬道の別れ 7:33
舟窪 7:38
四等三角点 8:26
乳山の別れ 10:06
もみじ谷鞍部 11:10
笹ヶ峰 着11:34
笹ヶ峰 出発 12:29
もみじ谷鞍部 12:44
乳山の別れ 13:29
四等三角点 14:18〜14:29
舟窪 14:55
馬道の別れ 15:00
土山越 15:13
大永山トンネル登山口 15:52
秋の登山シーズン開幕です
しばらく登山をしていなかったので
笹ヶ峰に行きました。
2009/04/11に下津池から登ったので
今回は大永山トンネルがらの登りです
5:10に家をでて コンビにで弁当
おにぎり ガム おやつなどを調達。
途中で夜が明けました。今日の天気予報は
曇りで午後から夕方まで晴れ 夜くもり です
6:05
大永山トンネルの別子山側です
のら犬が2匹 出迎えてくれました。
まだ誰も来ていなく 電話ボックス脇に駐車
しました。身支度をして出発!!。
6:13大永山トンネルの脇から林道にはいる。車両止めの鎖を越える。
6:14 「林道にはいると、すぐに登山口」とガイド本にあったが
なんと 10mぐらいです。すっごくわかりずらい登山口です。
6:24 石積の登山道 どうして?こんな立派な
6:38
植林の杉林道
6:55 笹ヶ峰と銅山越の分岐
7:00 土山越 国土地理院の地図には「大阪屋敷跡」と記されている
薪炭輸送の中継地だったようだ
7:02 15分ほど休憩をとる。 7:17出発
ここから舟窪までは緩やかな登山道です。
7:33 馬道の別れ 看板がはずれて落ちていた。
7:38 舟窪 看板は手で折り曲げたようですが
いたずらではありません。舟窪、ここからの登山道は
急勾配です。
8:26 獅子舞の鼻 四等三角点(1482m)
山頂ですが これだけしかありません
こんな風景に遭遇しました
8:14
8:03
8:24
気温は20度でした
高度計
1482m地点なのですが 1367mと表示
差は115m
安物だからね・・・
しょうがないか?
9:13 山頂の少し向こうが 乳山の別れ
8:54 立派な道標だ
9:35
登山者が登っているのが
わかりますか?
30代の青年でした。新居浜に
在住で、大永山を7:10に出発
したとのこと。
ハイピッチで登っていきました。
笹ヶ峰往復ですので どこかで
また会うでしょう。
なだらかに見えますが 結構
きつい坂道なんです。
9:55 かなり 登ってきました。もうすぐ頂上です。
と・・・・・・ 山頂の上にまだ山があった
頂上ではなかったのです。 気を取り直して
ガンバロー
↓ 10:06
ちち山の別れに到着
看板が1個だけのどこにでもあるような風景ですが
ここは 石鎚山系と赤石山系の分岐点でもあるようです
それでは 石鎚山系に踏み入れましょうか!
10:09
一の谷から登ってきたパーティーは
休憩もなく登っていきました。
10人ぐらいで 男性は3人 あとは
おばちゃん。
10:16 一番高いところが笹ヶ峰(1860m)です。笹原のトラバース道を歩きます
10:28 写真の右の方に人影があります かなりの斜面を歩きます 道は笹なのでよく滑ります
また 生い茂っているところもあり 何度も足をとられました。
ぶなの古木
11:23 笹ヶ峰山頂がもうすぐそこに見えてきました。
山頂までの笹原にコメツツジ群。
11:14 もみじ谷鞍部からチチ山を見上げる
11:34 笹ヶ峰(1860m)山頂です。お天気は良かったのですが、石鎚山系はガスのため
見えませんでした。5時間20分ほどかかっています。ガイドブックでは4時間(休憩なし)
と掲載されています。歩数計は電池が切れかけていましたが 13637歩になっています。
山頂は大勢(20人余り)の人で賑わっています。
たどり着いた人から食事タイムのようでした。
私は サンクスの弁当です。
手前の青いジーパンのおじいちゃは 毎週どこかの山に登っているようです
75歳前後かな? 元気なじっちゃんだった。
12:30 下山開始 チチ山の下のトラバース道(山頂に行かず
下を通るまき道)があるが 写真ではわからない
12:37 チチ山の斜面 もう紅葉が始まっていた
霧が出て来て神秘的なぶなの古木
15:44 下りは、3時間14分かかって大永山トンネルの
登山口に着きました ワゴン車が1台止まっていました。
帰りは いつものように 温泉施設「パナス」で体を癒して
帰りました。 着ているもの全て着替えるようにしたほうが
いいかと思う。
チチ山のトラバース道 ガイドブックでは40分となっています 行くときは景色は絶景なのだが いやになるぐらい遠かった。
10分ぐらいの休憩もいれて 1時間4分かかった。帰りは スイスイと45分 何だろう この違いは?
「馬道の別れ」という所があった。なんで「馬道」なんだろう?
と疑問がわいた。 馬道(炭の道)と言い「別子用木炭運搬路」だ
川来須−天ヶ峠−宿−吉居峠・西山越−鈴尾谷上部−大阪屋敷−
奥窯谷−高橋溶鉱炉 とつづく山道だったらしい。
旧別子の高橋溶鉱炉で使う木炭を西条から別子の山中で焼いてそれを
運搬する馬道だった。馬は80頭ぐらいいたらしい。