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鹿森ダムからの山 雪がある 駐車。路肩に雪があった 右の看板の所から登る9:27 登り口から1分の道 9:32 綺麗な登山道です
 

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分かりにくい分岐 七番方向に続く道 駐車した車が見えた 橋がありました。腐食が進んでいて谷を通りました。
 

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下から見上げました。 10:00 快適に歩いています 石積みがあります 2本橋 当時のものではありません 10:10旧別子登山口が見える
 

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腐ってしまった橋。この橋から下が下前部落です@ 石垣はしっかりしていました 崩れていますが階段の跡 檜が植林されています
 

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ここまで降りて来ました 接待館が見えます。A 橋が崩れて迂回路はありません V字谷なのでかなり下まで降りて 這い上がりました
場所的にはBだと思います。
 

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少し道の雑木が増えました 広い道です ここで道が終わり 谷に降りる 砂防ダムがあり対岸の道が見えました 岩にボルトがあり橋が架かっていたようです
 

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10:58 2時間半で小学校跡に到着 コーヒータイム 対岸に道が見えます。こんどはこの道も探索します 旧別子登山に降りてきました 11:43 12:13 日浦通洞に到着
 
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日浦橋 昭和30年11月架設 日浦橋から見た鉄橋。50mぐらいしか離れていません 川に降りて見ました。かなり腐食が進んでいます。
 
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日浦通洞が見えます。 事務所だった建物です。まだ原型があります。 日浦通洞 鉄柵があり立ち入り禁止になっています
 

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鉄橋はフレームのみになっています 別子山ふるさと資料館にあった「箱樋」

旧別子取材

2010/02/24

住友別子鉱山史(別巻)の8ページ
に左記の「別子鉱山図」があります

この絵は明治7年ごろの精密な
別子銅山の絵地図です。

下の図は地図の南の方を拡大
したものです。
の中に人影が見えます。
道は川の北ではなく 南側にあり
ます。

上記2枚の地図は「明治の別子」(伊藤玉男著)の
中に掲載されています。赤線で記している道は
絵図の通りに存在するようです。

左記の地図は国土地理院発行の
2万5千分の一の「別子銅山」地図の
一部です。
発行は平成18年7月1日

赤●から赤●まで道が続いています

入り口も出口も 道の状態も
何も分からないまま 勘を頼りに
出かけました。

赤い太線が今回歩いたルートです。
国土地理院の地図とは上り口など少し
位置が違いますが、ほぼ 同じ
道ではないかと思います。

登り口から等高線に沿った水平な道までは
「住友林業」の作業道路ではないでしょうか?。

水平な道は旧別子とは反対の七番の方に続いていました。こちらの探索は次回にします。

@

A

B

出発

到着