旧別子取材

2010/04/04

別子ダムはほぼ満水の状態

8:20出発です

アセビの花

トサノミツバツツジです。まだ下流域しか咲いていません

小足谷疎水道で記念写真
坑口の大きさを
写真で表現したかったから
もう一度行きました。

東延にある煉瓦
なにか工場か倉庫ぐらいの廃墟にしか
思っていなかった

なんと 銀行だったようだ。
合田正良氏の書いた「別子銅山」を
読んでいると よく似た写真を見つけた。
確認すると同じところだった

今回のモーニングタイムは
東延の第一通銅です
10:09

縁起の端から山の方をよく見ると
なにやら白い看板のようなものが見える

「焼窒跡」とある
掘出した鉱石は一度高熱で焼く
そうして 銅をとりだして別子から送り出す
別子の山の中のいたるところにあったようだ

縁起の端から見えていた白いものは
この看板であった。

「大伐間符」と書いてある
伊藤玉男氏の作成した
「明治中期の別子銅山」の地図では
「大切間符」となっている
どっちかな 確認してみます

今も残る大きな「露頭」は2箇所ある
1つは大和間符の近くの「大露頭」
もうひとつは 銅山越より330m下にある
と本に書いていたが 見当たらない 
この露頭ではないだろうか?

銅山峰に「火薬庫」がある。

「あかがねの峰新版」伊藤玉男著
「大正末期の労働争議で破壊された銅山峰の火薬庫とはこの窪地、即ち西の
舟窪にあった。落葉期にはかすかに遺構の石垣が認められる。」とある

探しました。
 ありました。

今は 落葉期にも 全く見えません。

「大黒間符」を探せ!
書物を見ても ネットで検索をしても
文字ではあるのですが
写真は全く見あらりません

銅山峰から露頭沿に降りてみました
「足を滑らせたら終わり」のような
山肌を下っていきました
  大和間符は1280m
  大黒間符は1240m

元禄8年(1695)4月25日、別子銅山の大和
間符と立川銅山の大黒間符が地中におい
て抜け合った。いわゆる坑間抜合である。
起こるべくして起ったこの坑間抜合は、
やがて舞台を江戸城に移す政治問題
にまで発展するのである。
GPSの高度計を頼りに降ていったのですが
これ以上は危険と判断 引き返す。 

新居浜ははっきり見えませんね
お腹がすきました。12:14です
気温は11度です 風かきついので
体感温度は低く 動いていないと
寒いですね。 

お弁当は少し降りたところで食べました
 下には牛車道が見えます。12:27

住友病院跡

元住友病院の舎屋を利用して、鷲尾勘解治
が自彊舎を設立して鉱山で働く青少年
を始め坑夫たちを教育する塾を開いてい
たことで知られている。

お弁当を食べたところから
「火薬庫」が見えたので 行ってみた
道が無く 藪であった。
石積みだったようだが 風雨にさらされたの
かかなり 崩れている。

清水のこんこんと湧き出ずる風呂屋谷

風呂屋谷には山内唯一の水場と言われた
清水があって、今でも猿々と岩清水が湧き
出している(明治の別子・伊藤玉男著)

今も湧き出していました。
谷の水量も多かったのですが 昔は
生活用水に取られてほとんど流れてなかった
と思われます。ここだけだ いつでも水が
あった。 湧き出し口は土砂の下で
見えませんでした。

伊藤玉男氏の作成した「明治中期の別子銅山」の地図を持って出かけました
 とても詳しい旧別子の地図で「明治の別子_伊藤玉男著」のなかに綴じ込みで掲載されています
 新居浜図書館でコピーさせてもらえます 有料で10円です。

別子山村 役場跡

役場も転々としています。
写真は目出度町の大山積神社横
にあった時のものです。

住友新座敷跡(接待館)

接待館は最初はここにあったのですが
小足谷に移転した。

トラス橋の下にある「カラミ」は登山道から
見えるので有名ですが ここには もっと
大きい「カラミ」がせり出しています。

正面にせり出している熔岩の様なものは
製錬をして銅を採った残りの酸化鉄である。
これをカラミ(゚)という。
カラミがあるということは、ここにも製錬所
があったという何よりの証である

場所は 通称パイプ橋の上流。

大山積神社跡にて

新居浜市内は桜が満開でしたが。
ここ旧別子はまだ新芽が出ていません。
そんななか みずみずしい青葉が目に
付きました。

別子郵便局跡

小泉商店(伊予屋)跡

料理屋 養老亭

目出度町の谷間

かなりの石垣が残っています。

公衆浴場跡

明治14年1月、愛媛県で19番目に開設
された古い局で、受持判囲は角石原
から別子山村一帯と、中七番から三森峠
に及ぶ山ばかりで集配は大変であったと
思われる。明治40年の集配郵便数は
354千通との記録がある。
大正5年6月、閉鎖されて別子山村の
弟地に移転し 現在にいたる。

目出度町には今日のデパートに相当する大商店、2階建ての伊予屋があった。
売り子が10人余りも居たという。

15:42 無事到着しました。

店屋としては2階建ての伊予屋こと小泉商店
というデパート、一心楼という料亭兼旅館が
有名で、その他名物長兵衛まんじゅうの
奥定商店、小料理の養老亭や肉屋の今井、
雑貨の酒井、その他木賃宿も2,3軒あり、
これらが東西700m、南北300mに渡
ってつなくり山の東面の風呂屋谷から
奥窯谷の尾根までの急斜面にへばりつ
くように建てられた数百軒の住宅の問
に散在していた。