2010年8月5日9時10分 横尾を出発 次の休憩地の本谷橋をめざす ここからは本格的な登山道になる
ガイドブックによる時間

横尾
 ↓1時間30分
本谷橋
 ↓2時間
涸沢
 ↓1時間30分
ザイテングラード取付き
 ↓1時間
穂高岳山荘
 
9時32分 屏風岩です
ここでは何と言っても高さ600m、日本一の大岩壁である屏風岩の眺めが目を引きます。
屏風岩はロッククライミングのメッカ、双眼鏡で眺めると、垂直の岩壁に取り付いた、クライマーの姿を見ることができます
 
9時45分 北穂高岳が見えてきた。
標高は3106m 奥穂高岳より85m低い
 
標高ランキング
1 富士山 3,776m
2 北岳 3,193m
3 奥穂高岳 3,190m
4 間ノ岳 3,189m
5 槍ヶ岳 3,180m
6 悪沢岳 3,141m
7 赤石岳 3,120m
8 涸沢岳 3,110m
9 北穂高岳 3,106m
10 大喰岳 3,101m
11 前穂高岳 3,090m
 
 

10時13分 本谷橋に到着
横尾と涸沢のほぼ中間地点にあり
ほとんどの人が休憩していきます。
歩数計は 19702 気温は26度でした。

次は2.4km先の涸沢です。
 
並んで本谷橋を渡っているのは群馬県立中之条高等学校の登山部の生徒さんです。
翌日の岳沢小屋まで何度か会うことになる。
おにぎりを2個食べました。それと缶コーヒー1本。
10時35分 出発です。22分の休憩でした。
 
10時53分 正面に北穂高岳が見える 11時6分 登山部の若い人に引っ張られながら登る。
 

11時6分 雪渓が目前に見えるようになる。
11時33分 雪渓を歩く 歩きにくいが落着いて歩けば 滑り落ちることはありません。 寒いようですが気温は23度あります。汗だくで登ってきました。
11時53分 沢の水が雪解けなのでとても冷たい。
   奥穂高山荘を目指す人はここが最後の給水場となります。
   涸沢小屋でも水は分けてもらえましたが有料でした。
12時6分 ヒュッテと小屋の分かれ道です。 奥穂高山荘に行くので 右の涸沢小屋に向かいました。
 しかし 涸沢ヒュッテのテラスでゆっくりコーヒーでも  飲んで行きたかったと思います。 ヒュッテからの眺めはすばらしかってのではないでしょうか
 残念でなりません。
 
 
2010年8月5日12時10分 涸沢到着
5時45分に上高地バスターミナルを出発したので6時間25分で歩いたことになる。ガイドブックは6時間10分になっている
ガイドブックは休憩なしの時間だから よしよし。
12時10分 涸沢に着きました
正面の雪渓の一番上が 目指す奥穂高山荘です。(赤い↓の所)
真ん中のこんもりした尾根がサイテングラードです。(赤い←の所)
涸沢は、穂高登山の中心地であり、夏には色とりどりのテントが数え切れない程ならぶテント場を見ることができる。また、南側を吊り尾根、東側を北尾根と、標高の高い稜線に遮られた北向きの沢であるため、夏場でも残雪が多く残るので、夏スキーのゲレンデとしても賑わいを見せる。
また、近年は紅葉の名所としても有名であり、三段紅葉とも呼ばれる岩場と木々のコントラストが見られるため、見頃の季節には全国からおびただしい人数の登山者が訪れる。
涸沢小屋までの 雪渓を歩く、やっぱり 滑るので 歩きにくい 涸沢は 北穂高岳と奥穂高だけの別れ道です
 

涸沢小屋のテラス。
穂高岳山荘に行く人はもう登ったあとなので
ひっそりとしていました。
夕方からは宿泊客で混雑するでしょう。
ここから 穂高岳山荘までは 水場が無い
ペットボトルに水を分けてもらった



涸沢小屋のテラスから眺める 涸沢カール
幾つものテントが見えたが パンフレットや雑誌に載って
いるほどの数ではなかった。ウィークデイだからかな?
ほとんどの登山者はここ涸沢で宿泊します。
 翌日 奥穂高に登って 穂高岳山荘宿泊です。
 そして 同じ道を引き返すルートが多い。
私は 前穂高岳を予定しているため 穂高岳山荘を
目指すことにしました。
中之条高等学校の登山部も穂高岳山荘です。
途中で 追い抜いてきたので まだ見かけません
失敗談  
 涸沢小屋で食事をしておくと良かった。
 おにぎりだけで ここまで来たけれど穂高岳山荘までの
 エネルギーは無いようだった。
先を急ぐあまり お腹が空いているのが気にならなかった。
 
 12時31分出発です.目指す 穂高岳山荘まで 2時間30分  過酷な登山道の始まりです。
12時44分  涸沢が眼下に見える 30分でこんなに登ってきた
12時47分 三脚のでっかい分を背負った女性が降りてきた
思わず「すごい機材ですね」と声をかけた。
「映画です「岳」と言う映画の撮影です」
 「風景のカットだけ撮ってきました」
 「来年5月封切りです ぜひ 見てください」

 「鉄の塊ですから 重たいですよ」
真ん中の男性が 監督さんの片山修さんのようだ
山岳愛好家のバイブルと呼ばれる石塚真一の人気漫画を映画化
小栗旬と長澤まさみさんのほか 佐々木蔵之介、石田卓也、市毛良枝、
渡部篤郎らが脇を固める。

撮影は3月14日に八ヶ岳でクランクインした。八方尾根、奥穂高岳、
立山連峰など標高3000メートル級の日本アルプスで
過酷な雪山ロケを敢行し、6月に撮了。
監督は、「花より男子」や「モップガール」など人気ドラマを手がけてきた片山修
小栗旬さんと長澤まさみさんにあった訳ではない
ロケはもう終わっていて この人たちは 足りない自然の映像を
撮りに来たのだ。 

2011年5月の封切りです 映画を見に行くぞ!
 

アオノツガザクラ
高山帯の湿気の多い草地や岩礫地に生える常緑小低木。葉は革質で密に互生し、ツガの葉に似ている。
帯緑黄白色の花を枝先に数個つけ、下向きの花冠のさきが、
絞ったように狭い壺形だが、実は上を向く。
愛媛県の銅山峰のツガザクラに良く似ているが
色と大きさも違うようだ。
3時11分 雪渓を下っていく一行を見ました。アイゼンはつけているのでしょうか?。
尾根の一番低いところが 穂高岳山荘のあるところです。
13時23分 見事な雪渓です
涸沢カールで一番よく見えるところではないでしょうか
13時28分 ガレ場です。もう5分も歩くと 
ザイテングラードです。
 
 白出のコルまでの約1km 標高差 330m あります。全て岩場で 急登なため
 距離は短いが なかなかキツイ
 
13時42分 ザイテングラード下部のお花畑
 この辺はまだ余裕で登っていました。
14時11分 登る人と 下る人で道を譲りながら 14時33分 とっても気持ちのよさそうな場所ですが
 ちょっと足を滑らせると大変なところです。
14時50分 こんなところを登ってきました。下る人はいるのですが 登る人はあまり見かけなくなりました。
アクシデント
ザイテングラードの途中で気分が悪くなりました。
上を見上げると頭がフラフラするのです。
昨夜はバスだったので 徹夜だったからだろうか。
かなり高く上ってきたので気圧が体になじんでいないんだろうか。
お腹は空腹を感じません。しばらく座っていましたが気分が良くなりません。下山することも考えましたが、
おにぎりがあと2個あったので それを食べ 「アミノバイタル SUPER SPORTS」を1個飲んだ。

しばらくすると 気分も良くなり 力も湧いてきた。気合を入れて 登りだしました。
エネルギーが切れかかっていたのだろうか?
14時57分 穂高岳小屋まで20分の文字。
霧の合間に登山者の人影が見えます。
15時25分 穂高岳小屋が見えてきました。
穂高岳小屋前は雪渓が残っていました。
 
 ゆっくりだったのでガイドブックで2時間30分の所を 涸沢から3時間かかりました。
  ちゃんと食事をしなかったのが いけなかったね。
標高日本第3位(3,190m)の奥穂高岳と標高日本第8位(3,110m)の涸沢岳の間である、「白出(しらだし)のコル」
(2,996m)に位置します。岐阜県と長野県の県境であり、玄関(涸沢)側は長野県、裏(白出)側は岐阜県となっています。
登山が少しずつ楽しまれ始めた大正時代。
穂高岳山荘初代・今田重太郎は、山案内人として働いていました。
ある日、穂高を歩いていた重太郎一行は嵐に見舞われ、ビバークを余儀なくされました。
小屋の必要性を痛感した重太郎は、白出のコルに小屋を建てることを決意。
そして出来たのが、穂高岳山荘の前身、『穂高小屋』です。
大正14年のことでした。
一休みしてから看板の前で記念写真。
  水を飲んでも喉が渇く。「ポカリスウェット」を買った  1本500円 気分もスキッリしました。
   500円の価値がありました。
くつろぐ登山者たち 16時24分  中之条高等学校の登山部の一行 11人が登ってきた。
 
くつろぐ登山者たちストーブに火は入ってなかった 5時 食堂で食事
夕食はご飯はおかわり自由 驚くほど食べた
 2,996mの山小屋でこんなにご馳走が食べれることに 感謝ですね
夕食の後はテラスで夕陽を待ちました。
ガスがかかって夕陽は見られませんでした。
(夕陽は小屋の反対側で見れます ここは東の空です)


消灯 9時