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小足谷〜七番 車道

2011/04/02

別子山村史 945ページに
字中七番・下七番・奥七番・大阪屋敷
ここは銅山に必要な木材や薪などを伐り出す銅山の山林資源地である。
古くは京都の伏見屋・大阪の大阪屋などの材木屋が、千年の良材を求めて入山していたようである。
この大阪屋敷は銅山とは関係がなかったようであるが、銅山が盛大になるにつれて
明治初年風呂屋谷からと、小足谷から二間幅の車道が開かれ、
大八車で木材や薪を運搬したのである。今もその道は残っている。

と記述がある。
「今もその道は残っている。」が気になり 歩いて見ることにした

登山道などの標識はなく「火の用心」の看板脇からです。

8:39 車道(馬道)到着 標高970m
尾根を20分近く直登すると水平な広い道に出ます。
これが旧別子小足谷から中七番に続く車道です。

大八車が通る道なので登山道と違い道幅は広い
しかし 人が通らないのでメンテナンスは出来ていない。
谷に橋が架かっていた。
この道が出来たのははっきりした事は分からない。
元禄4年に開坑しその直後には出来たのではないかと思う。
元禄4年頃この周辺に人の住んでいた所は
旧別子か七番の奥にある大阪屋敷 弟地ぐらいだから
この道は早くに通じたと思います。
旧別子がなくなったのは大正5年 
それ以降も活動はしていたが活動拠点は東平になっている。
この車道はいつまで使っていたかは不明です。
切り立った岩にへばり付くように作られた道
土台が崩落し人一人がやっと通れるぐらいが残っている。

ここは 山崩れで上から樹木が落ちてきている。
こんな道でも通行する人がいるんですね。
踏み跡があって道になっていました。

当時まま残っておるところも多々あります。
チョンマゲを結ったお侍さんが通ったのかな?。
今でも大八車が通れるくらいの道です。

橋はないけど谷に降りれば 通ることが出来ます。
大雨の翌日などは水量が多いので通行できないと思います。
谷の向こうに先が赤いポールのような物が見えます。
鉄塔巡視路の案内杭です。
この杭があると四国電力の人が通行するので
道はメンテナンスされています

鉄の橋が架かっています。 さすが 四国電力

谷の向いに崖くずれの箇所がみえる。
よく見ると通ってきたところだ
赤い線を入れてみた。

鉄塔があった。鉄塔の下にブロックを積み上げた
小屋があった。

車道は真っ直ぐ続いていたが 下に降りる道が見える。
鉄塔巡視路と思われる。鉄塔巡視路の方が綺麗な道だろうが
車道を行くことにした。

やっぱり藪いています。笹が視線を遮ります。
道は見えづらいものも 通行で出来ました。

車道は荒れているものの 原型はあります。
植林された杉・檜が茂っています
幹の太さから考えて 植林されてから20〜30年
ぐらいでしょうか?。

最近の建造物が見えました。
水路のようです。車道はここで行き止まりでした。
上方が明るいので崖をよじ登る。

林道に出ました。この道づたいに歩く。
下に道が見えたら降りる予定でしたが
林道の工事の土砂が下に落ち 古道は見えません。

下に降りる細道を発見 林道を歩くか降りるか?
降りることにしました。

この道は今まで歩いた車道とは明らかに違います。
傾斜があります。幅も狭く大八車が往来したとは思えません。

ゆったりとした道です。人が往来するとか
馬道なら 十分かと思います。

県道に出ました。広場から1分ほどのところです。
二つ付けていた歩数計は5451歩と 5024歩
気温は13度 標高875m 時間10:09
歩き始めから1時間44分

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小足谷から登る

お手洗いの看板と登山口案内の石標が立っていました
「別子銅山子ども探検隊」
結成15周年の記念だそうです。

2011年4月2日 

小足谷の接待館跡付近から山に向けて登る道が
気になっていたので行ってみることにしました。

別子銅山風土(近藤広仲)の6ページに上記写真がある
明治30年代という事である ○は接待館 △は採鉱課長宅
両方とも塀が残っていてよく写真に撮られている。
赤い線が今回の探索の起点です。この道がどこまで
続くのか 分かりませんでした

別子鉱山の山内図明治35年制作の一部分
部落を出た道が山の上にと続いています。

登山口に着いたのが10時55分 駐車場には8台の車
香川2 高知 愛媛3 山口 徳島 の割合

11:20 接待館到着
接待館から20〜30m行くと警告の看板があり
登りの道があります。

下に採鉱課長宅が見えます。
立派なお屋敷だった事が伺えます

小足谷支流にかかる橋 朽ちて渡ることは出来ない。

石垣は当時のままで残っている

11:37 小足谷を渡る

ここからは登山道です。
旧別子の時代もここから上に住宅はありませんでしたから
頻繁に通行した道とは思えません。

つづら折れの道です。
尾根をジグザグに登っていきます

11:51 木々の間から平家平が見えます。
 標高は1000mを越えていました。  

ジグザグ道は続きます。
ちょっとイヤになってきました。
周りの景色は見えません。
杉・檜の植林地なので 代わり映えのしない風景です。
明治の時代はこの辺は公害でハゲ山だった事を思うと 
先人の苦労が報われたことを喜ばないといけないのでしょうね。

ジグザグがおわり横道になりました。 歩きやすい登山道です。

周囲が明るくなると
「索道場」に出ました。
上部鉄管道を取材したときに通った所です。
「ここに出たのか?」

接待館から索道場まで40分かかりました。

帰りは 林道を通って降りました。

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