--------------------------------- 切り株 ------------------------------------------------- | |||||
煙突周辺に檜がたくさん植わっています。 工事の時邪魔になったのか 見晴らしを良くするた為か 何本か切られていました。 そのうちの1本を写真に撮って帰り 年輪を数えてみました。 なんと 80以上ありました。 そんなに大きい木ではありません。私の家にも檜がありますが 30年ぐらいかなと思ったのですが 80年 旧別子は成長が遅いのですね |
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--------------------------------- 東延谷を遡る ------------------------------------------------- | ||||
ダイヤモンド水から10分足らずで足谷川にでます。砂防ダムがあるところです。ここで東延谷と合流します 明治時代は東延に行くのは この東延谷沿いに道がありメインの通りになっていました。 今は道は無いのですが 気になっていたので 谷を遡って見ることにした。 |
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9:25 足谷川の水量が多かった | 東延谷は水が見あたらない | 城壁のような石垣 | ||
この谷はメンテナンスしているのか パイプはしごが設置していました |
鉄の遺産が赤さびています | 山肌が崩落しています。肌が赤いのは 露頭線上にあるからでしょう |
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谷全体に石積みがあり よじ登る | パイプのフランンジ?部分が 転がっていました |
暗渠になっていたのか 第1通洞と同じような 石積みがある |
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登山口から東延谷に降りたのが9:25 第1通洞に到着が 9:57 約30分ぐらいかかっています。 登山道を登れば10分ぐらいの距離です。 気になっていたので登ってみました。 |
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セメントでしっかりした施設が東延の排水路 | 東延の第1通洞がみえた。 | |||
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--------------------------------- 寛政谷を遡る ------------------------------------------------- | ||||
:「天満間符」という抗道( トンネル)がある。 元禄15年(1702)には既に開坑されていた古い問符である。 まだ行ったことがない。 地図ではどこにあるかは 場所が記載されている 寛政谷の上流である。 寛政谷は途中で東西に分かれていて 西は大切間符に行き当たる 東は天満間符にたどり着くのだが 道がない。大切間符から東に向かえば良いのだが藪ばかりで引き返した事がある。 寛政谷を遡るこにした |
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第1通洞南口から5分ほどで 寛政谷に着く 砂防ダムの中側を通るところです。最近は 「寛政谷の看板が掲げられたので すぐわかります。 谷ですがほとんど水は流れていません。 堆積地ですので地下に潜っているのでしょう |
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10:05に橋の所を出発です 等高線で70〜80mあります | ||||
小さな滝があります 岩が滑るので迂回 | 右斜面は石垣が積んでいました | 岩盤です 滑るので 迂回しました | ||
谷には 石垣を積んだ跡があります。谷底を抉らないために養生しているのでしょうか? | 岩に5cmぐらいの穴が無数にある。 | |||
谷が一段と細くなる。木が茂って前方を塞ぐ | 延喜の端だ 頂上と同じぐらいの高さにある | 谷の水が黄色になっている。 | ||
「天満間符」10:41に到達 | こんな所にも看板があった。 年間何人の人が訪れるのだろう。 看板が無ければ「天満間符」を見つけられ なかったかもわからない 感謝 |
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登り初めて 35分かかりました。迂回するのに時間がかかった。 | ||||
坑木が見えますが坑口は潰れています。 | 黄色い水は天満間符のすぐ上から流れ出ています。 | |||
もう一度同じ谷を降る気にはなりませんでしたので 西の藪に入りました。道は全くありません。西に行くと眼下に 大切間符が見えました 天満間符に行くにはどちらが楽かと言えば天満間符から 藪の中を東に行く方が楽とは思いますが 天満間符を見つけるのは 寛政谷を 遡る方が確実だと思います。もう一度行く気にはならない 難易度の高い間符です |
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天満間符付近にあった案内柱 | 延喜の端から見た軌跡 天満間符までは道があります。 赤い線は私が帰りに通った藪 黄色い線は歩けるかなと思う線 |
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