それと「山村文化」の4号の「上・下部鉄管道」著者は高橋幹氏 の中の35ページ 「住友別子鉱山史別巻の二七頁に、高橋熔鉱炉付近を撮影 した一葉の写真が載っている。この写真の中央やや左より に、右手上方の山腹より左下足谷川に向って、一本の筒状 の建造物が写っている。これが土管か鉄管か、あるいは木 樋なのかは、この写真からは速断出来ないのだが、その形 状から考えて、導水管の可能性が高いのではないか。そし て右手上方の山腹こそは、先に述べた下部鉄管道の遺跡の 終点付近にあたるのだ。下部鉄管道を運ばれてきた水は、 この写真にある導水管を通って高橋方面に送られていたの ではないだろうか。この写真の撮影時期は明治十五年頃と なっている。」 |
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伊藤玉男氏の地図 高橋幹氏 の文章から 推測すると下部鉄管道の水は高橋に送られたと言うことになる | |||
探索
今回探索のルート図 | |||
@水槽がない Aトロッコの車輪 B見晴らしの良い尾根 C石積み D石積み E巻き揚げ機 F煉瓦の構造物 G道標 H索道の中間支柱 I下部鉄管道 会所 J分岐 K水槽 道はない 藪です。 |
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ダイヤモンド水からすぐ上流の橋を渡ると登山道は左に折れる。これを右に行くと高橋製錬所跡に向かう 人の通れるぐらいの踏み分け道がついている。 |
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@水槽がない もし下部鉄管道から高橋に導水されていた のならば東延のように貯水池があるはずだ。 探したけれど見つからなかった。 木の樋のような跡は見つけたが上水が流れて いたか坑水が流れていたかはわからない。 |
Aトロッコの車輪 落ち葉の色と車輪の鉄色が同じようなのでわかりづらい。 時間 9:11 標高1050m 車輪直径が28cm 厚さ7cm |
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なぜ こんな所に車輪があるのでしょう。 ここは東延谷川にある製錬所から東に延びる 「鉄軌道」です。「別子鉱業所全山測量係地形図」 の二重の点線で描かれている。 長さは200m前後だと思われ トロッコを人が押して 運んだものと推測されます。 |
C石積み 少しの踏み跡がありますので誰かが探索したのでしょう。 |
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D石積み 石垣が水平に続いています。 「明治中期の別子銅山」の地図で高橋溶鉱炉 と漢字が並んでいるすぐ上にそれらしき印がみえます 眼下にダイヤモンド水がみえる。 |
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E巻き揚げ機 「明治中期の別子銅山」の地図で「○に捲」の記号 の所だと思います。捲だと「巻き揚げ機」と思われます。 |
まだナットの形はしているし ボルトの溝も見える 今まで何年の時間が経過しているのでしょう |
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煉瓦積みの施設ではありますが 長年の風雪に耐えもう「ボロボロ」の状態でした 少し大きな地震や台風でも危ない。 尾根で風雨にさらされている為でしょう。 この尾根は この日も風が強かった。 鉄の遺産なので 何年か 何十年か後には 錆びてなくなるのでしょうが |
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F煉瓦の構造物 ボルトが6本ささっている。先にナットのついている物もある。 煉瓦の構造物は 同じような物が2つある。長さが3m 高さが104cm 谷側の高さが148cm 奥行きが56cmありました。 この構造物は何だったのかは今はわからない。 2本の煉瓦構造物の方向は150度の方角だった。地図で確認すると矢印の方向です |
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Gの地点で道標があった。 木は腐っているが看板はまだ使えそうです。 ボルトなどから見ると最近(5年ぐらい前)まで 立っていたのではないがろうか。 何のために? 道案内でしょう。 誰のために? 人が来ていたのでしょう。 どこから? う〜ん 道がない。 上から来た人の為の道標なら ここには立てない 横道を歩いて来た人のために 「ここから降りたら高橋溶鉱炉ですよ」と案内したはずだ 標高的には東延の第一通道と同じであるので 東延からの横道があったのではないだろうか。 「明治中期の別子銅山」の地図には道がない 「別子鉱業所全山測量係地形図」も同様です。 また 探索する場所が増えた。 |
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鉄塔跡だろうか 写真のようなブロックが4個 ありました。最近の物のようです 別子銅山には関係ないかも。 |
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現在も活動中の索道の中間支柱で 日浦谷の林道から東延に物資を送っています。 |
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H索道の中間支柱 | |||||
下部鉄管道に出ました 会所です。「明治中期の別子銅山」の地図では この会所から高橋に導水しているのですが 下に水を落とす穴がありません。不思議です。 「上・下部鉄管道」著者は高橋幹氏は 「右手上方の山腹こそは、先に述べた下部鉄管道の遺跡の 終点付近にあたるのだ。」と述べている。 この会所は終点ではなかった。 会所には東から西に向かう穴があるが 高橋に水を流す穴がない。 |
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I下部鉄管道 会所 | |||||
J分岐 東延から登ってくるとここに出会う。 これから西はまだ探索のしていない所です。 |
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K水槽 尾根に水槽がありました。木が茂っています。 使われなくなって100年ぐらいになるのでしょうか |
水槽からは鉄管が突き出しています 穴は3個ありますが 1本だけでした。 すぐしたには煉瓦の構造物がありました |
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とりあえず現況確認だけで 下山します。 雨の具合が心配になりました。 詳しい探索は後日 また登ってきます。 |
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収銅所
天気が回復しましたので 収銅所によって 寸法を測りました。 |
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案内板
鉄管橋のところに道標がある 「銅山越」の案内ですが 「目出度町経由50分」「寛政谷木方経由50分」とある 知らない人は「町」のつく方を選んでしまう。 |
2010/09/26に「こちらが楽です」と手書きのシールが貼って あった。 いつの間にかとれていた。 |
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お節介と思うが「銅山峰は橋を渡ると楽です」と書いたプレートを設置してきた。ちょっと見えづらいが 気がついてくれたらいいな |