旧別子 探索  2011/11/26
上部鉄管道 林道上部分岐から西の探索
上部鉄管道から西赤石登山道へ
銅山峰東火薬庫の計測
西山火薬庫の探索
下部鉄管道 東延上の水槽
下部鉄管道 会所の確認
   
ルート
登山口 7:51
接待館 8:10
索道場 8:36
下部鉄管道 8:48
上部鉄管道 9:11
尾根 10:12
西赤石登山道 10:30
銅山峰東火薬庫 10:55
銅山越(昼食) 11:54
西山火薬庫 13:00
東延 13:41
下部鉄管道 14:11
索道場 15:23
接待館 15:44
登山口 15:57


 歩数  25564歩

       上部鉄管道 西の探索 

A地点は下部鉄管道から登ってきたところです
ここからB地点の東延の上部まで探索します。
このあたりは高橋幹氏の「上・下部鉄管道」の地図
によると「大平山」と呼ぶうそうです。
A地点から東は登山道よりもきれいな道になっていましたが
西の方面は少し藪になっています。
鉄管とか土管を探しながら歩いたのですが
全く発見できませんでした。
下部鉄管道はあちこちに鉄管道の痕跡があったのですが
上部鉄管道は見あたりません。
藪を水平に進むと断崖の上に出た。
これは行き止まりだろうと思う。
伊藤玉男さんの地図で確認すると
鉄管道はここでおわりのようです。
しかし 会所があるような四角い記号があります。
気がつきませんでした。
あ〜ぁ 又 行かなければならなくなった。

       上部鉄管道から西赤石登山道 

上部鉄管道終着付近の尾根から
上に延びる登山道がついている。
どこに出るのか興味があったので登ることにした
登るに従って笹が伸びてくる。
道はわかりやすいので 足は進む
10分余り登った。尾根道を真っ直ぐ登る
おやおや 笹が延びっぱなしです。
「行けるところまで 行ってみるか」
笹藪になってすぐに 銅山峰から西赤石に登る
登山道に出た。見たことのある道標です。
錆びていますが
「小足谷経由旧別子登山口」と読めます
この道標から降る気にはならないですよね。
なんせ 笹で覆われていますから 
道がないと思います。
   

      高山性砂礫地 

伊藤玉男氏の著書に「あかがねの峰」という本がある。
1983年に初版が発売され 1994年に新版が出版されています。
その中の52ページから「高山性砂礫地」について記されている。
少し長い文章になるが紹介します。

銅山峰の高さは1300〜1400米ほどで、この高さは赤石山系脊梁では最も低い位置に
ある。南国のこの高さで不思議にも四国のどの山にも見られない高山性砂礫地(山頂現象か)
がある。銅山峰は別子銅山開坑以前の立川銅山時代からだと280年ほどの長きにわたって、
銅製錬の際に発生する硫煙の支配下にあったことから、この砂礫地を煙害による不毛化である
とする説が一般的である。しかし、山中から硫煙が消えて既に1世紀を経てもなお広大な不毛
の砂礫地が存在する事実を安易に見逃してはならない。
銅山峰では春になると不思議なことがおこる。山が動くといったら如何にも大袈裟だが、しかし何となく地面が呼吸をしているように感じる。
ことに三月に入って残雪の頃、日足が長くなり放射冷却で夜間氷点を割り日中気温が急上昇するようなとき、確かに地面に何か
変化がおきているのを感じるのである。筆者はこの不思議な現象に出合ったのは、もう30年も前の昭和40年頃であったが、
当時はそれに対して特に拘るつもりもなく打捨てていたのだが、あとで述べる石川県白山自然保護セソターの
職員東野外志男さんのご好意で送っていただいている機関紙「はくさん」がご縁で、その不思議さに立入るようになったのである。

銅山峰では雪融けの時期、場所によっては出来るだけ太目の転石を飛石がわりにして歩かないと、足が土中に埋ってしまうことがある。
夜中に凍結していた土が日中は田圃のようになる。それは雪融け水をたっぷり含んだ凍土が融けて、しかも土そのものは細粒で殆んど
礫を含まず、田土のような状態だから当然そうなる。通常の土壌の場合は表面は黒土という腐葉土で被われ、その下に細粒の赤土があり、
さらにその下は礫混り土、そして風化砕屑帯、基盤岩と順次細かいものから粗いものへと変化するものだが、
銅山峰ではこのパターソに狂いが生じているのである。

ある厚さの表土が凍結して体積を増す。日中それが融解する際、多量の水分を含んだ細粒の土はいち早く融けて、まだ凍ったま玉でいる
石塊の下の隙間に流れこむ。この現象を春さきに何度も繰りかえせば、結果的には地中の石塊は土によって押し上げられたことになる。
このよヶに凍結・融解を繰りかえして地表に出てきた石塊は、次は霜柱の影響を受けるようになる。
水分の多い表土は夜間に霜柱が立ちやすく、地表に出てきた石塊は例外なく霜柱に持ち上げられる。霜柱は必ず斜面に直角に立つから、
持ち上げられた石塊は霜柱が融けた時点では、僅かながらも斜面を下方へ移動したことになる。従って、こちらも上下運動の反復によって
驚くほど早い速度で斜面を移動するのである。銅山峰の砂礫地では確実に石が動いている。さらにそれのみではなく残雪部の下方では
山襲の尾根の部分から水がしみ出す処もあり(パイピング現象)、ときには土中を流れる水音がかすかに聞えることもある。

周氷河地形あるいは氷河周辺現象という気候学の分野がある。金沢大学の山本憲四郎が白山の周氷河地形について述べた
報文(はくさん第10巻第2号)によると、いま述べた石が動くことに加えて条線土・亀甲土・階状土が氷河周辺地形の特徴であることを指摘し、
白山がその条件を備えていることを報告している。が、銅山峰にも明瞭な条線土があり限られた範囲ながら亀甲土といえるものもある。
そして、北斜面には見事な階状土が広範囲にあり、ここにツガザクラが大群落をなしているのである。これらの情景はどう見ても
高山性砂礫地であり、極相であり、太古のままの相としか思えないのである。
   

      銅山峰東火薬庫 

ちょっと立ち寄って 雑木を払ってきた。 
   

      西山火薬庫 

白い線を歩いて西山火薬庫を探す。 谷の向こうに足谷川の火薬庫が見える
   
谷もくまなく探したつもりです  石垣があるはずですが 全くわからなかった
   

      東延煉瓦 

以前にも少し木々を払ってきたが まだ少し残っていた。
冬場は葉がないのでわかりにくいが夏は覆い茂る
今回 一番左の1基のみ 木々を払ってきた。
煉瓦の落ちそうなところも 落ちない程度に押し込んできた。
勝手なことをして 叱られるかもわからないが
朽ちるには 惜しい構造物だ。

      下部鉄管道東延会所 

まず煉瓦のうえの 木を抜いたり切ったり
周辺の整備をしてみた。
今までに100年ぐらい経つと思われるが
山中でこれだけの良い状態で現存するには
推測ではあるが伊藤玉男さんがメンテナンスを
していたのではないでしょうか?
煉瓦の中に木々の根が入り込んで煉瓦を浮かせています。
自然界とはよくした物で その木が大きくなりすぎると
水分をもらえなくなり 立ち枯れになっています。
そして次の木が根を張ります。
大きな松の木を1本残し整備してみた。
   
こちらも木々が生えつかえていましたので 散髪をしてきました。かなりすっきりしました この真っ直ぐ下は東延で 水槽があります。
   

      下部鉄管道高橋上会所 

水を分岐する為の会所だと思いますが2ヶ所とも入口と出口が1ヶ所ずつしかない。
つまり分配していないのです。 東延に近い西の会所は導水と言う線が出ています。
水を分配して下の高橋に送ったと思われます。しかし 今の会所では 痕跡がありません。

下部向かう方の煉瓦は穴の跡がありません。この時代はこの会所から高橋に分水していたかもわかりません。
その後分水はなくなり下部鉄管道が使われなくなる寸前は 高橋に分水していなかったと言うことです。
高橋方面は煉瓦で分水穴がない