旧別子 | 2012年 シーズン到来です まず 銅山峰まで確認に出かけました |
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山神社
旧別子で唯一の木造建造物であった「山神社」が 無くなっていました。 2006年には壊れていなかったのですが その後 台風で社の後ろの木が倒れ屋根が壊されていました。 住友鉱山さんが「補修してくれないのかなー」と 思っていたら この冬に取り壊されていました。 |
座の煉瓦が残っています。 この上に新しい祠が建つのでしょうか? |
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護符が新しくなっていた
歓喜坑 |
歓東坑 |
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歓喜坑・歓東坑の護符が新しくなっていた。 2011年9月24日に訪問したとき歓喜坑の護符が落ちて 入口に立てかけてあった。 |
歓喜坑・歓東坑共に新しく作り替えられていました。 | ||||
間符発見
東予一円の間符・坑口を探索している黒川氏に教えて頂いた 「寛政谷風廻し坑」を見つけてきました。 |
大伐間符の上に在るので 大伐間符の通気坑と思われます。 | ||
第一通洞
第一通洞の寸法を 計測してきました。 | 第一通洞のレールはいつ敷設したかはわかりませんが 写真は は昭和32年頃の様子です 山村文化34号08ページ 後ろに機関車が写っています。??? |
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軌間は550mmでした | 醤油の醸造で有名な千葉県野田市の 現東武鉄道野田線野田市駅周辺にかつて 人車鉄道が存在した ここの軌間も550mmでした。 |
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角石原 第一通洞北口の軌道 520mm 雪から掘り出して計って見ましたが レールが歪んでいるようでした。 |
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マイントピアのトロッコの軌道 508mm | 別子銅山記念館の機関車 508mm | ||
西赤石への 登山道 近道
5万分の1の地図を見ていると 西赤石に行く稜線に向かって近道がある。 まだ歩いたことがないので行ってみる。 青い線は一般の登山道です。 赤い線は今回歩いた道。 |
まず枝分かれの@地点は接待館から 50mぐらい登ったところです。 反対に引き返すように道が付いているので 通り過ぎないように気をつけて。 |
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接待館の上を通過し 石垣の残る小足谷集落の 間を通る。昔の生活道路ですね。 2分ぐらいで 1本目の腐った橋に出ます。 その後3〜4分で2本目の腐った橋に出ます。 地図Aです ここから登りはじめます。 石垣の手前を上に |
石垣の上に出ると写真の所が尾根になって います。 ここから 西赤石の稜線までひたすら 尾根を登ります。 |
道がわからなくなっても尾根です。 迂回しても尾根です。 とにかく尾根を外さないように |
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地図Bに出ます ここは下部鉄管道です。 ここも尾根を登ります。 |
地図Cに出ます ここは上部鉄管道です。 | ひたすら尾根を登ります | ||||
登るに従って笹が伸びてくる。 道はわかりやすいので 足は進む |
尾根道を真っ直ぐ登る | おやおや 笹が延びっぱなしです。 「行けるところまで 行ってみるか」 |
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ここから 西赤石山は1時間ぐらいで登れます。 銅山峰〜西赤石山は1時間40分かかります。 @〜A 8分 A〜B 35分 B〜C 12分 C〜E 20分 合計 75分 接待館〜銅山越 75分 40分ぐらいの 時間短縮にはなるが 直登の為 しんどいヨ |
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笹藪になってすぐに 銅山峰から西赤石に登る 登山道に出た。見たことのある道標です。 |
錆びていますが 「小足谷経由旧別子登山口」と読めます |
上部鉄管道
ラロックの目論見書1巻4ページ 別子銅山の山内図明治35年より 明治中期の別子銅山_地図(伊藤玉男氏)より |
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青い線はGPSで取った私の足跡です | |||
@地点 上部鉄管道を歩いてくるとここに来ます | A地点 石垣が続きこの上に水路が在ったと 思われます。 上部鉄管道は木製の水路だった可能性が高い |
B地点 胸の谷間のように低くなったところが あります。ここから東延に水が落ちたを思う |
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C地点 小高い丘のようになっていて 水はここまでは来なかったと思う |
D地点 谷のところが下り易かったので 降りてみた 木立の間を抜け比較的歩きやすい |
E地点 鹿の通り道のような道が在ったので 尾根に出てみた。 後で気が付いたのですが この尾根が水路だったようです。 歩きやすい谷を降りて行ってしまった。 |
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F地点 下部鉄管道に出た。 こんな はずではなかった。 東延に降りるつもりだったのにザンネン。 |
次回は 東延の水槽から 登ってみましょうか 崖があるから 体力が必要ですね |
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