雲ヶ原への道        . 2012/04/28       .
 
    . 別子銅山の古い地図を見ていると 下部鉄管道があり
その上に上部鉄管道があり またその上に 
1本の道が付いている。
この地図は明治35年に別子鉱山全山測量係作成の地図で
今まで絵地図しかなかった別子銅山の地図では初めてで
もっとも詳細な地図であった。
赤い線は「炭の道」か あるいは「仲持ち道」かは
わかりません。
小箱越を第一次泉屋道とするならば この雲ヶ原越えの
道を第二次泉屋道とする人もいるし 第二次泉屋道は
銅山越の道だったと説する人もいる。私は後者かなと
思うので あえてここは「炭の道」と記す。
第二次泉屋道論争はまた別の機会に説明します。
@ 7:04 旧別子登山口
A 7:23 接待間跡
B 7:59 索道場
C 8:05 林道出る 
     林道を歩いたほうがよい
D 8:15 下部鉄管道 15分休憩  .
E 8:42 上部鉄管道





       上部鉄管道 


 
上部鉄管道から3〜4分も行くと雲ヶ原の道がある
わかり難い所です。エントツ山さんが木の枝で
目印を作ってくれています。
上の地図@の場所です。
昔は道だったんだ。今は誰も通らないから藪に
なったんだ と思うような道が あります。
道をよく確認しながら通行
 
植林地帯の伐採地です 私の足でこの伐採地を
抜けるのに20分かかりました。道がわからなくなる
のが難題で探しながら進むのが大変
また 伐採された木を乗り越えるのも大変
広場に到着 石積みの跡もあり休憩地
だったのかな?
上の地図Aの場所です。
 
すぐに笹薮になります。
覚悟していましたが5分ほどで通過。
やれやれ 笹薮は苦手です。
藪を通過した後は快適な道が続きます。
珍しく緑色の葉を発見 一休みすることにします
上の地図B 9:52 
  


   .
谷を越えます 
GPSで標高1384mになっていますので水はありません。


石垣がありました。道の石垣は初めてです。
昔は石垣があったのかもわかりませんが
元禄年間にも記録のある道なので 崩れたものと
思っています
10:02 左の地図D
   
快適に歩きます。とことどころ落石 
崩れはあります。
10:10上の地図Eだいたい西赤石山直下です。
谷に出ました。水はありませんが 
大雨の後など渡るのに大変かな
10:19 上の地図F
谷を過ぎた辺りから道は高度を上げ始めました
平坦だった道が 坂道になってきます。
10:27 上の地図G
  
快適とは言えないまでも藪もなく足を進める
物住の頭と前赤石山が見える
10:47 上の地図H
11:07 だいぶ藪いてきました。
GPSの標高は1477mです 雲ヶ原は1525m 
もう少し 地図Iの地点
11:06 エントツ山さんたちが下った谷に出ました。
ここからは笹が背を伸ばしてきます。
下が見えないので歩きづらい。
地図Jの地点
   
しばらく笹薮です。 ほっと一息 ほんのわずかですが
息の抜けるところに出ました。
11:13 休憩 地図Kの地点 
11:17 さー また 藪です 行きますか。
 
木にテープを巻きつけるのは私の信条に反する
のですが道が見えません。
雲ヶ原に出ることができなければ引き返さなくては
なりません。木に赤い紙テープを結びました
何日かで色あせ 敗れて消えてくれるものと
思います。
一生懸命歩いて 後ろを振り返ると
まだそこに見える
なかなか前に進めませんね。
30分歩きました ずーっと藪です 
いやになります。
 
物住の頭がみえます 登山者も見えます
もうすぐです。 でも道は藪です 
地図Lの地点
11:53 竹が背丈を完全に越えています。
     カメラをザックに入れます。
12:08 思った所の雲ヶ原に到着しました。
約1時間の藪こぎ 疲れました。
2011年11月12日 エントツ山さんマーシーさん
に藪こぎの洗礼を受けていなければ 途中で引き
返していました。あの人たちの真似はできないが
真似ごとができるようになったかな
 
さぁ 後は 西赤石山を経由して帰るだけだ
登山道は高速道路のように思える。
西赤石山でお弁当を食べた 
カブト岩のアケボノツツジは
まだ まったく咲いていませんね。

赤い線 雲ヶ原への道
  本日 歩いた部分です



黄色の線  雲ヶ原越への道

青い線 現在の登山道
  



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