東平 | . | 2013/03/03 | . | ||
「東平に行こうか」と春秋氏の誘いを受けて しぶしぶ?付いて行った。 2月末までは東平街道は工事の為 通行止めだったので 3月になるのを待っていたのです 急ぐ事もないので 10時半と 遅めの到着 |
10:30 東平到着 10:45 大マンプ測量 11:03 第三到着 11:21 導水路探索 12:45 駐車場で昼食 13:30 セリ割 13:45 セリ割随道 14:43 小島第二通洞 15:25 呉木マンプ 東側 15:51 呉木マンプ 呉木側 |
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この日の東平は寒かった 14:02の気温 マイナスになっていた なが〜いツララは子供たちが持って行った後だった | |||||
大マンプ測量
大マンプの測量 これは 覗いているのではありません 測量機器で測量している最中なのです 244.5m と測量されました |
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導水路探索
春秋氏が道水路の新しい資料を手に入れた それによると道水路は 第三通洞から柳谷の下を暗渠で通り 岩屋谷に出るまで随道ですが その間2箇所横穴がある その横穴を探索する 柳谷の下を暗渠で通過 赤い丸がその場所です 南のほうは場所は確認済みです 穴があったのは知っていましたが 隋道の横穴とは知りませんでした 南の丸印の横穴 |
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赤い線が導水トンネル | |||
横穴の内部 突き当たりに 水路の煉瓦が見えています 20.4mでした |
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水が溜まっていて 中に入る事が出来なかった |
上のほうの横穴は 一生懸命探索したが発見できず 潰れた可能性が大 | |||
セリ割随道
山村文化8号26ページにある写真 セリ割に索道を通すトンネルがあるのは知っていました そもそも「セリ割」がどこなのかはっきり知らなかった 東平街道に石仏が奉られている この付近が「セリ割」と 呼んでいる |
住友共同電力の保線道の案内 ここを登っていく |
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随道の長さは 34.6m |
索道を支えていたと思われる台座 |
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東平坑が閉山するまでは第三通洞から 運び出された鉱石は東端索道によって 東平から端出場へ下げられていた。 この索道の中間に中継所がニケ所あり、 本谷川の絶壁の上にあった中継所を 「新道の索道場」と今でもまだ呼ぶ人がいる。 あかがねの峰新版150ページより |
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東平側から見た隋道 | 東端索道の断面図 | ||||
小島第二通洞
入り口は塞がれています | 少しの隙間から中を撮影したが蒸気で・・・・。 | ||||
明治20年、当時の土木課長児島芳次郎は、第二通洞 (児島案第二通洞、後の旧第三通洞)開削を計画し、翌21年 着工した。計画では運搬路、疎水、探鉱、換気等を兼 ねて、立川山村字中之橋から坑内八番坑道準の三角下底ま での約2200mを開削しようとするものであった。し かし、人力のみに頼ったこの工事は、堅い岩盤に行手を阻 まれ、明治22年7月わずか27間を掘り進んだ所で工事 は中断し、以後この第二通洞は二度と日の目を見ることは なかった。 一方この工事と並行して、明治22年5月四番坑道準に あたる寛永谷より、坑内中之棚を経て小足谷疎水道と連絡 する通洞が計画され、児島案第二通洞の中断の後、新たに これを第二通洞と称して同年11月着工された。この時点 で児島案第二通洞は、旧第三通洞と改称された。 新規の第二通洞は、さく岩機の導入もあって順調に工事 は進んだが、明治25年5月突然水脈にぶつかり、激しい 涌水の処理が出来ないまま、同年8月工事は中止された。 水脈に当たった地点は、角石原直下付近だと言われている。 かくしてふたつの第二通洞は、いずれも完成することなく 幻に終わったのである。 山村文化3号30ページ |
山村文化3号30ページ | ||||
東平・呉木マンプ
東平と呉木を繋ぐマンプは 172mでした。 | ||||||
線路の跡 病院跡の上部に残る | 病院跡からマンプの跡付近 自動車道路がつけられ跡形も無く破壊されていました |
マンプが陥没し工事中でした | ||||
別子あのころ山浜海34ページ 東平マンプ |
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呉木側 東平の管理人さんに聞くと 「土砂がある所がマンプの跡」と教えてくれた。 | ||||||
山村文化17号13ページから 座談会形式の記事が載っていますので記載します 高橋 ここに東平と呉木を結ぶトンネル(問符:マンプと呼んでいた)があったのは知っていますが、今もありますか。 秋山 どちらともトンネルロはつぶれてしまって、もう、わからなくなっていますね。 司会 私も三年程前に探してみましたが、結局、見つけることは出来ませんでした。 高橋 トンネルロは、現在、竹薮があるところですか。山川さん、わかりませんか。 山川 呉木側のマンプの入口ですか。今の車道の下で、もっと東側になるのではないでしょうか。 高橋 いつれにしても、東平・呉木間のトンネルロは、両方とも潰れているのですね。 秋山 潰れています。東平側は、レベル的に言いますと、事務所跡から10メートル位下になりますか。 このマンプは、呉木側への物資輸送のため利用されたもので、レベル差はほとんどありません。 |
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春秋氏の呉木マンプ http://www.dokidoki.ne.jp/home2/haruaki/bessi/isan/tounaru/kureki/index.html |
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