旧別子散策       . 2013/03/17     .
   

      

登山口  9:20
接待館  9:45
ダイヤモンド水  10:05
歓喜・歓東坑   10:45
銅山越  11:03
目出度町 12:30
登山口  13:57
昨年の12月から冬眠状態になっていたのですが 銅山峰の雪も解けたかなと思い
3ヶ月半ぶりに 旧別子に行って来た  

          水取り口   

近藤氏より 牛車道下に「水取り口」があるとお聞きしましたので行ってきました
間口 0.54cm  高さ 0.72cm(土など溜まっていた) 奥行き 3.78m 

          栄久橋      

「永久橋」と「栄久橋」二つの表記がありました 一般的に使われていつのは「永久橋で 古地図では「栄久橋」と表記されています 
寸法を 測ってきました。
別子銅山関係の本の中から
永久橋について書かれている所を
抜粋してみました。


土持谷で、そこには永久橋という立派な橋が架かっていた。
その橋台は今もある。
山村文化12号44ページ

さしも猛威を逞しうした雷雨も次第次第に弱まり
午后十時頃には全くおさまり曇り空となった。其時、
途行く人が見花谷が全滅したと話して行くのを聞い
たので、早速仕度を整え見花谷方面へ出掛けること
にした。道を牛車道から永久橋の傭員住宅(二十戸
位)部落を通って四五十段位あったか其石段を降っ
て、会計課長の山田清二郎様方の横手へ下りた。其
辺りから道路はめちゃ、めちゃに壊れて居た。山で
は一番良い筈の道が、谷の様に崩れ未だ水が流れて
居る中を、提灯を椅りにあちらに飛び此方に渉りし
て平素なら十五分位で行ける処を一時間近くも掛かっ
て、やっと目的の見花谷に着いた。現場は松明を一
パイ照して昼の様に明るかった。
新居浜史談252号6ページ


永久橋
この地の字名で、目出度町の一部であり、小さな谷には昔、石橋が架かっていたようである。かつて
は此の地の少し手前東南方に本村の役場が建っていたのである。村役場にはいる所が、今山根に鎮座する別子銅
山の山の神さま大山積神社の旧地であった。この境内村役場側の所に、当時日露の役の戦勝記念碑(現南光院に
移転されている忠魂碑)があった。
別子山村史941ページ


永久橋部落
風呂屋谷の右岸、蘭塔場の登り口からその南側の裾を巻いていた旧牛車道を取り開いて遊歩道を
つけてある。これを行くと、やがて空谷(水のない谷)に出合う。この谷の名は土持谷と言って下
方では目出度町を流れている。この谷に牛車を通すために頑丈な橋が架けられていた。これが永久
橋である。永久たり得ず今は跡かたもないが、この橋の両岸にあった集落が永久橋部落である。明
治の頃は主として役場関係者の住居であって、戸数はせいぜい十戸程であったものと思われる。戸
数が少ないのに部落名が付いていたのは、鉱山従業者と区別する必要があったからかも知れない。
明治の別子95ページ

          カラミ群   

トラス橋からみたカラミ   案内板の足元から 谷に降りる
 カラミは旧別子のあちらこちらでよく見かけるが ここのカラミは特大の部類にはいる 
正面にせり出している熔岩の様なものは製錬をして銅を採った残りの酸化鉄である。これをカラミ(鍍)という。カラミがあ
るということは、ここにも製錬所があったという何よりの証である。





.