端出場 大斜坑 | . | 2013/04/20 | . | ||
近いのですが なかなか行けなかった所の一つに端出場の「大斜坑」があります。 道路から見えているのですが「いつでも行けるから」と行っていなかった |
大斜坑
別子銅山深部開発の探鉱、輸送、通気を目的として、14番坑道準の
端出場坑外から海面下約1,000bにある最下部の坑道の32番坑道準まで を開さくされた斜坑でした。 この大斜坑は、老境に入っていた別子銅山再生の最後の望みをかけて 開さくされたものであり、鉱石はスチール・ベルトコンベヤーで運ばれ、 46人乗りのケーブルカーが走り、人や機材の運搬にあたっていました。 ●工期=昭和35年(1960)〜昭和44年(1969) ●規模:延長4,455b、幅4.3b、高さ3.35b、傾斜15度25分 ●工費:約19億5千万円 歓喜の鉱山61ページより |
|||
現在、マイントピア別子(端出場ゾーン)から望むことができる、打除の山斜面にある四角いコンクリート造りは粗鉱ビン(貯鉱庫)跡で、 その向かって左横にあるのが大斜坑の坑口跡です。 |
|||
別子銅山 28ページ 端出場.の風景 | 住友別子鉱山史下巻 巻頭 端出場 赤丸が大斜坑 | ||
県道から車道がある | 粗鉱ビン(貯鉱庫)跡の上部のでる | ||
大斜坑 坑口 | |||
坑口から撮影した マイントピア別子の風景 2013年4月21日、8:06 |
火薬庫
端出場にも火薬庫があった。
採鉱に使うダイナマイトなど保管する所だ 明治時代の別子山中は施設から離れた所に 石囲いをしそこに保管していた 東平や端出場はトンネルを掘ってそこに保管していた。 端出場はいま観光坑道になっているところが火薬庫だった
|
|||||
ちょっと坑口を撮影するために入らせてもらったので 中には入らなかったが ホームページでは 火薬庫だったとは想像もつかない華やかな様子だ |
|||||
別子銅山と近代化産業遺跡の23ページに 端出場地形図 がある 当時の図面があったので紹介しておこう |
|||||
第四通道
第四通洞は、端出場坑口(海抜156b、14番坑道準)と大立坑を結ぶ水 平坑道で、明治43年(1910)に開さくに着手し、大正4年(1915)に 貫通しています。この通洞の天井はアーチ型で、全高2.71b(ただしアー チ高約90ab)、幅3.7bです.通洞口から難玩までは延長約4,596bで、 別子銅山休山まで坑内運搬の大動脈でした。その後、筏津(現・宇摩郡 別子山村)の下部に向けて、延長約5,100bの探鉱通洞が昭和10年(1935) から開さくされ、昭和17年(1942)に貫通しました。第四通洞と探鉱通 洞が連絡したこどから、全長約10,000bの大通洞となり、筏津坑の操業 にも大きく貢献しました。 現在、マイントピア別子(端出場ゾーン)で、第四通洞口を身近に見 学することができます。なお、通洞口の「第四通洞」の題字は、住友家 15代家長・友純の筆です。 歓喜の鉱山97ページより |
|||