第二次泉屋道_岩屋 | . | 2013/04/27 | . | ||
第二次泉屋道は旧別子から新居浜浦まで 雲ヶ原を通る道です。 旧別子から 雲ヶ原までの道筋は確認しました 東種子川から林道までは2013/04/13に確認しました 岩屋の場所が何処かわからないので 確認に行きました |
|||
GPSの軌跡(全体図) 結構な距離でした。 | |||
駐車場から魔戸の滝
別荘から2〜300mの所に駐車 7:41 崩落工事の為通行止め 現場まで1.5kmの表示 |
|||
7:45 すぐのところに わき道を発見 近道と思い行く | 危なっかしいが道はついている | 7:54 砂防ダムに着く ここで道が途切れている | ||||
上に道が見えたので 端のほうを よじ登る。 10分ぐらいで登れたのですが いきなり体力を消耗しました。 | ||||||
大規模な崩落です 直るんかいなぁ | 林道は車が通行しないので荒れ放題です | 8:36 魔戸の滝 入口に着きました 徒歩5分の案内版 | ||||
市内南部、国領川の支流、西の谷川に沿った林道を進むと、魔戸の滝遊歩道の入口に着きます。その遊歩道を約5分進むと魔戸の滝が 見えてきます。 この滝は、上樽・中樽・下樽の三瀑布によって形成されており、下樽の瀑布は落差が約40mあります。深山幽谷にあること から神秘的で、龍王と彦兵衛の娘にまつわる伝説が残るなど、印象的な滝で、別名「窓の滝」や「樽の滝」とも呼ばれています。 なお、昭和53年(1978年)4月6日に、市の名勝に指定されています。 魔戸の滝伝説「百合姫大明神」(『新居浜市史』から) 魔戸の滝と呼ばれ、景勝の地となっている新居浜種子川西ノ谷川の奥の樽渕は、東の樽、西の樽、中の樽の三つに分かれ、土地の人々は、 普通、樽と呼び、また樽渕と呼んでいるが、この滝に行く途中に窓のように峠の上がくり抜かれていて、その峠から樽淵を望むことができるので、 人々はこの石の所在地を窓と名付けたわけでしたが、その後いつの間にかこの淵の名を魔戸の滝としてしまった。 この三つの樽(淵)には、それぞれの物語がある。東樽には龍が棲み、西の樽には大蝦蟇が棲み、中の樽には龍王さまが棲んでいるとのことで ある。また、樽という奇妙な名の起こりは、ある年、だい干ばつがあって川という川、谷という谷、井戸という井戸に一滴の水さえなくなったことが あった。麓の人たちは、皆一斗樽を背負ってこの滝壺に行き、龍王さまにお水を頂いて帰ったことから、誰言うことなく、この滝壺を樽淵と呼ぶよう になった。 この三つの淵は、どんな大日照りでも、水のつきることのない不思議な淵でした。 ところが、その年は幾日たっても雨が降らず、遂に田畑の作物も草木もみんな枯れてしまうという危機があった。 村の代表が寄り集まって相談の 結果、樽淵の龍王さまに村一番の処女を選んで献上することになった。そこで、麓の川口の里の百姓彦兵衛さんの娘お百合が一番器量よしという ことになり、盆の15日に樽淵の龍王さまのところに送り届けられることになった。お百合は父彦兵衛や村人に送られて、細い山道を賑やかに囃した てながら、どんどん登って行った。 やがて、行列は無事に中の樽に到着しました。青々と鏡のように澄みきった樽淵、そこは美しく着飾った多くの姫に囲まれた龍王さまが船に乗って 立っていた。お百合は姫たちに手を曳かれ龍王さまのお側に立ち並び、それは誠に美しく龍宮の乙姫を思わせる姿でした。お百合は白い手を振り、 村人たちに最後のお別れを告げると、龍王さまやお百合、姫たちを乗せた船は、青い水底に姿を消してしまった。 それから間もなく空は僅かにかき曇り、大雨となった。これで田畑の作物も野山の草木をみなよみがえったのである。 村人たちは、彦兵衛に感謝し、お百合に感謝して、中の樽のほとりに龍王さまを祀り、その側に百合姫大明神という祠を建てて、懇ろに霊を 慰めたのである |
|||
魔戸の滝までも 道は荒れていました。 |
魔戸の滝から岩屋
滝からの道はもっと 道が細くなる 8:58 魔戸の滝の上に出る |
|||
地図の通り 道は直登に近い | ヒカゲツツジが目に付いた | すばらしい石垣が目に飛び込む | ||||
9:22 石ケ山丈へ続く牛車道だ | 魔戸の滝の道標。 | すぐ近くの岩にイゲタのマーク 岩に彫られているのは初めてだ |
||||
まだまだ直登の道が続く | 9:49 木に目印がある 分岐に出た | やった 水平とまでも行かないが歩きやすい道 | ||||
道の崩れているところや分かりにくいところはある | 10:17 倒壊小屋 何のために建ててあった小屋だろう プロパンガスが2本あった | |||||
こんな所に看板が 通行の多い所だったのか? | 少し藪になったり こんな道だったり | 谷に出た 水は全く無い。 | ||||
岩屋 10:45着
赤丸は「幅廣に十數段の石磴」の箇所 | ||
いま、當年開設の新道路なるものを、親しく踏査するに、爾来春去秋来すでに二百三十餘たび、その迹は空しく萎々たる雑草 に埋れ果てて、こころなく過ぎれば、ほとんどそれと見分けるよすがもないほどである。ただわずかに残された文献をたよりに、 別子山東延より西赤石の峰を左にとり、つまさきあがりの逕を辿ること一里半餘にして、西赤石と東兜を連ねる中間の尾根に出る。 これよりさきは、ひたぶるに地勢を按じ、記録に謂はゆる石ケ休場を石ケ山丈と推定して、東兜を右に、西赤石の山腹を谷間へ 向って十數町下ると、谷はいよいよ迫逕って逕まさに窮らむとする邊、天空を劃して峭立する大巖石に行き當るのである。 ここは古来、樵夫等が岩屋と呼んでいるところ、逕は紆曲してこの大巖石の腹に通じ、そこには幅廣に十數段の石磴を築いて 人の往来に便じてあるのが見られた。実に堂々たる立派な石磴である。その蒼然として風化せる跡は、歳月を経るのすでに 久しきを示すと共に、これが往昔大別子の銅山路であったことを知らしむるに十分である。そればかりではない。 谷間の流れに今はわづかに板を渡した橋際にも、蔓生する草むらの中から疊みあげた舊い石崖が見られるのであって、 山中に似合わぬその規模や結構は、別子の出銅最もさかんなりし當年を偲ばしむるに餘あった。 (別子開坑二百五十年史話 141ページより) |
||
確かに風化はしているものの 今 私が歩いてもびくともしない石段は300年の昔の石段だろうかと思うほどである。 二百五十年史話の写真のそのままの状態で残っている 二百五十年史話は夏の写真であろうか雑草が見られる。 |
|||
邦光史郎作「住友友王国」の中に この岩屋が登場する場面がある。 山村文化の4号18ページからの 「岩屋-赤石越えの道」で塩田康夫氏も指摘しているが私も同意見なので紹介します |
|||
何しろ、立川鉱山は、別子との山争いに敗れて以来、全く衰微してしまい、それまで鉱山を経営していた真鍋 弥一右衛門は入牢を命じられて、今では大坂屋久左衛門が稼行主となっている。 「おーい別子銅山から仲持ちがやってくるぞ」. 山蔭に隠れた見張りの報告で、立川側の鉱夫たちは、畳々と山腹に設けられた石段道の上に、油を振りかけた。 それも岩屋と称する道中最難所の石段道に、上から油壷を傾けて流し込んだ。 「よしよし、分からぬよう木の葉を撒いておけ」 渡り鉱夫の中でも札つきの悪党が、にやりと片頗に無気味な笑いを浮かべつつ、油光りしている石段道に枯れ 葉の偽装を施した。 とは知らず、別子から新居浜へと向かう中持たちは、長い列をなして、西赤石の峻険を下ってくる。 別子の中持は、御用中持といって、幕府御銅山師の威光を背負っている。だから、道中、御用中持に出会った 百姓町人は、道を譲らなくてはならぬという程権威をもっていた。 といっても、重い銅材を負い籠に入れて、エンヤラサ わざと山道を上り下りしてくるのだから、容易な業ではない。 先頭に立っていた先達が、一行を振り返って声をかけた。 「おーい、皆の衆、いよいよ難所にさしかかるぞ」 高々と力杖を振り上げて一行の注意を促した。 何しろ荷の重さに顔も上げられない者がまじっているから、うっかり石段を踏み外すと、それこそ地獄へ逆落 しとなってしまう。 「さア、行くそ!」 声を励ましつつ、先達が、数十段もつづく自然石の一段日に爪先を下ろそうとした。 けれど、きれいに石を切って積み上げたものではなく、細長い自然石を積み重ねてあるにすぎないから、角 が丸くなったり、下向きに傾斜していたりして、まことに滑りやすい。 だが、毎日通い慣れている先達は、どの辺に足をかけたら安全かということをよく知り抜いている。 そこで、自然に窪んだあたりへ、ひょいと爪先を下そうとすると、どうしたことか、つるりと滑った。 ーおや、これは……。 しかし、後がつかえているから、一箇所に長くとどまってはおれない。危ぶみつつ、そのままなおも下りていった。 急な登り坂を胸突き八丁などというが、切り立った岩坂に自然石を積み上げただけのこの岩屋道を、十数貫も ある重い荷を背負って運ぶ場合、危険はむしろ上りより下りにあるものといってよい。 雨も降らぬのに、この滑りようは、こりゃとても只事じゃないそ。そう気づいて、彼は頭をめぐらした。 「おーい、足許がおかしいゆえ、引っ返した方がよさそうじゃ」 だが、もう遅い。すでに十人余りの中持が一段ずつ、石段を下ってくる。 すると、中程の一人が、これなら安全と思って、石段に積った枯葉の上へ足を下ろそうとした。 ところが、どうしたことか、草鞋の底が枯葉の上に届くや否や、つるりと滑った。 「わーッ!」 安定を失い、背中の荷の重さに押されて、どっと前へつんのめった。 けれど、そのつい目の下に別の仲間の背負った重い荷が突き出ている。 たちまち、その負い板の先にぶつかって、仲間を突き落す形となった。だが、そのため、どどッと、四、五人 の中持が連続して落ち、それも狭い石段の上のことゆええ、避けようもなく、先達の背中めがけて、四、五人が 積み重なってきた。 「わあッ!」 たまらず先達は、もんどり打って、石段下へー。だが、弾みのついた身体は、そこにも止まらず、そのまま 千仞の谷底めがけて、吸われるがごとくに落下して行く。 「あっ、こりゃいかん!」 危うく難を逃れた者たちも、転落して行く仲間を救わんとして石段を下りかけ、その浮き足立った足を取られ て、さらに数人が石段下へ転げ落ちていった。 まだ石段にさしかかっていなかった中持たちは、顔面蒼自となって、立ちすくんでいる。 「こりゃいかん、引っ返せ!引っ返して救けを呼ぶのじゃ!」 あわてて、元きた道を別子の方へ駈け出していった。だが、その隙に、石段下へ近づいていった黒影がいく つかあって、彼らは腐肉獣のごとく死傷者のかたわらに忍び寄って、投げ出された銅鉱石を拾いはじめた。 「どうじゃい、ざっとこんなものじゃ」 髭面が得意気に別子側の死傷者を見下している。 「フソ、ついでに三途の川の渡し賃を頂いておくとするか」 まだ瞭きもがいている傷者の懐中を探って、血に染んだ巾着を奪うと、 「そら、成仏しろよ」 とばかり、足を上げて谷底へ蹴落してしまった。そのため、ようやく別子から救援隊が駈けつけた時、 もはやそこには死傷者も散乱した銅材も全く影を留めていなかった。 「なんと……」 彼らは、油を流した石段を発見して地団駄を踏むばかりであった。 |
|||
この記述から窺えることは、この作者は決して岩屋の現場には行っていないということである。なぜなら、岩屋の 石畳はたかだか五メートル程の高さしかなく、たとえ滑って転げ落ちても、荒銅を背負っていれば、骨折くらいはす るだろうが、先籾の谷底へ落ちてゆくことは有り得ないからである。 この岩屋のフィクションもさることながら、この本では、立川銅山は別子銅山との対立関係において、徹底して悪者 扱いされており、元禄七年別子銅山の大火災についても、被災を受けた泉屋すら当時否定した立川銅山放火説に基づ いて物語を展開している程である。(山村文化の4号21ページからの 「岩屋-赤石越えの道」で塩田康夫氏より) |
|||
岩屋は歴史的に見て 重要な場所でもありますが いかに小説だから言って 歴史の事実と異なる登場は許しがたい 「引っ返せ!」と叫ぶ前に 仲間を助けに行ける場所でもある。 また この道 第二次泉屋道は銅を背負っての通行はしていません。もっと楽な銅山峰から遠登志に降りる 第三次泉屋道の通行が許可されていたからです。 種子川村や近郊の村からこの道を通って別子銅山に物資を運んだ道だと思います またこの付近で炭焼き釜の 跡が多く見られました。炭を運んだ道かもわかしません。 岩屋は谷の中を通行する道です。雨の降ったあとは水が出て通行止めになったのではないかと思います。 |
|||
岩屋から 奥に
11:00 岩屋を跡に営林署作業小屋 に向かう。 岩屋の近くにアケボノツツジが見られる。 300年前にもあったのだろうか。 いや 群生していたかも分からない。 |
|||
11:11 植林地帯を歩く | 11:22 所々に石積みの道が残る | 11:28 谷沿いの潅木の道になる | ||||
11:44 | 11:45 | 11:45 谷沿いに 石垣がある | ||||
営林署作業小屋 屋根が残っていた | ストーブだろうか 転がっている | 五右衛門風呂もあったようだ | ||||
今日の探索はここまでとした。 頭上には西赤石があるのだろうが ここからは 見えなかった。 ここから雲ヶ原までは 道がないようである。 営林署作業小屋の前の谷でお弁当を食べ 下山する事にした。 |
||||||
さらに奥に進む | 12:15 道は無く 谷をさかのぼる。 |
帰り道
「帰り道は遠かった」と言う歌があるが 本当に遠かった。 道を間違えたのであった。
登山口から岩屋あたりまではピンクのテープが目に付いたが 岩屋からはほとんど無かった。
おまけに藪道もあり 往路を覚えていなかった。作業道がからんでこの道を進んでいたようです。
9:49に通過した分岐にたどり着きここから脇道に入り 出たところが 牛車道だった。
15:15 牛車道を石ケ山丈に向かう | 15:34 石ケ山丈は素通り | 15:56 沈砂池で記念撮影 | |||||
歩いた 歩いた よう歩いた 第二次泉屋道のデーターも少し分かるようになった 分析をして 研究する事にする それにしても 岩屋が私の思っていたところより ずいぶん下流だった。 |
|||||||
16:13 林道の崩落現場の最上部を通過 | 16:50 やっと駐車している車にたどり着いた | ||||||
. | |||||||