銅山峰〜遠登志       . 2013/06/29     .
   
コースタイム

登山口(鹿森ダム)7:40
ペルトン橋  8:39
第三通洞  9:33
角石原  10:31
銅山越 着 11:20
銅山越 発 12:10
角石原 12:44
第三通洞 13:42
ペルトン橋 14:16
遠登志 15:39
別子銅山 - 銅の道 - 第三次泉屋道1

「西条領道願之儀、左京殿役人呼候而可申渡候。是以將明申筈、此外猶々其方致シ
 安キ品モ可有之候へ共、先夫ハ追而之事二候」

この文章から別子銅山の輸送路は大きく動く

元禄15年早々に、勘定奉行はこう申しております。

西条領の中に泉屋専用の運搬路をつける
ことについては、佐京殿役人、佐京殿とは西条三万石領主
松平佐京大夫頼純のことで、西条藩の役人を呼んで申し渡
してあるから、これで旨くゆく筈である。またこの他に其
方より要請のあった立川銅山の吸収合併や坑内排水の問題、
更に長期展望に立って経営をするために必要な永代稼業等
についても、幕府の方では検討しているので、多分うまく
ゆくと思うが、それらはもう少し先ではっきりさせてゆこ
う、と云っているのであります。
(山村文化5号9ページ)伊藤玉男著 


第一次泉屋道 別子銅山から土居天満浦
第二次泉屋道 別子銅山から雲ヶ原経由口屋
第三次泉屋道 別子銅山から遠登志経由口屋

第二次泉屋道は計画されましたが使用はされませんでした
山村文化では上記の第二次泉屋道は使われなかったので
第三次泉屋道の事を第二次泉屋道としていますが
私の研究の中では雲ヶ原の道も存在したので
上記の通り一次から三次とします

鹿森ダム脇に駐車し 銅山峰まで登ります。
第三次泉屋道のご案内は 帰り道
銅山峰から遠登志までとします。





鹿森ダム脇に駐車


   
銅山峰から北の方は霧の発生しやすい所です
この日も霧が立ち込め視界が悪くなりました
12:10 峰地蔵を出発します
峰地蔵から4方向に道がある
背後に向かえば西赤石山・東赤石山に
正面は 西山・綱繰山・笹ヶ峰に
左は別子銅山発祥の地 旧別子に
銅山越から10分ほど下ったところに墓地がある。
昔からあった墓地ではなく 銅山峰ヒュッテの
伊藤玉男氏が山中に散らばっていた墓石を
この地に集めて供養したと聞いた事がある。
  
右に行けば石ケ山丈停車場 今は銅山峰ヒュッテが
左に行けば 太平抗・新太平抗がある。
太平抗の朽ちてはいますが索道場跡も残っています
尾根の鉄塔のほんの少し降りた所に石垣が
あります。番所の跡だそうです。藩政時代には
山役人がいて通行人のチェックをすると共に、
一方では休憩所ともなっていたらしい。
石仏が2体並んでします
その一つには安永七年(一七七八)
三月十四日とある。
   
登山道の分岐です。  13:38 第三通洞 銅山越から1時間28分
 取材をしながらですので時間がかかっています
古地図には上の橋とあるところ
西赤石山に登る最短ルートのため多くの
登山者で賑わっています。とっても急坂です。
上の道を行くと端出場発電所道水路に行けます。
下の道が第三次泉屋道です
この曲がり道の下に「児島第二通洞」がある。 通称 ペルトン橋と言う
泉屋道では 中の橋と言う名称です
東平の底を流れていた川はこの辺りから急に接近し両岸
は釣竿で届きそうな位置になる「セリワリ」と呼ばれる
路傍には地蔵さんが安置されている元禄15年頃は
もっと道が細く事故が絶えなかったのでは
ないでしょうか。
深い谷から石垣を積み やっとこれだけの道を
確保しています。
東平から端出場 そして海まで繋がる鉱水路 その
レンガ造りの会所が残っている
上の橋からここまでは坂道だったが ここから
急な下り坂になる 
右と同じ場所 1966年ごろの写真です。
今は登山道ですが昔は生活道でした。
急坂 階段 長尾の尾根を真直ぐ下ります。 東平までは車で行けますので 歩く人はほとんど
居ません 道も夏草に覆われています。
「お休み」の跡 ここに店があり行き交う人の休憩場所
でした 「ダルメ」を飲むのが楽しみだった
遠登志の橋の方向に降ります。
登山口から5分ほどで登って来る事が出来る
広い道ですが 元禄の時代の道ではない 遠登志橋 平成5年に登録有形文化財に指定
されています。この谷もすごく深い 元禄時代の橋は
何処にあったのかは不明
鹿森ダムのところに「仲持ち像」が建てられている
仲持ちさんは 立川宿まで荷物を背負って降りて
行ったのですが 私の今回の探索は ここまでです

昭和30年代 バスはここまで来ていた。「別子入口」
と言うバス停で待合所・売店・食堂もあり 東平や
別子に行く人たちで 賑わっていた。


本日の歩数  遠登志から銅山越 往復のカウントです。
    
追記
私の生まれは 別子山 弟地と言う所です。
別子山から他の市町村に行くには この第三次泉屋道を通らなくては行けませんでした。
現在は別子山から法皇トンネルを抜け 三島に下る県道131号線はありますが
昭和30年代は道があったようなのですが交通手段はなく 東平経由 遠登志の道でした。
別子山村の学校では修学旅行以外に見学旅行があり 小学3年生は新居浜に 小学4年生は今治に
小学5年生は高松に 小学6年の修学旅行は松山に 中学2年生の修学旅行は京阪神に それぞれ行われました
その行程は
学校-徒歩-日浦-カゴ電車-東平-徒歩-遠登志 と なかなかハードなのでした。
後年スクールバスが導入され 学校-日浦間はバスになりました。日浦-東平間は「カゴ電車」 
当時1学年50人ぐらいでしたから
カゴ電車は満杯で鉱石を運ぶトロッコに新聞紙をしいて座って居た事もありました。東平から遠登志までは自由行動で
遠登志集合 早い生徒は30分足らずで走って降りたように記憶しています。
数え切れないくらい通った東平街道です。 自然の中にあり崩落もあります。300年余り歴史のある産業遺産です。
整備はされないとは思いますが せめてどうにか通行できるぐらいには と思います。