富士山       . 2014/05/08     .
 とみすやま
自宅出発 09:00
富士山  12:50〜14:10
大洲城  14:25〜14:55 
自宅到着 16:40


往路は高速道路は使わず
地ベタを走る。
伊予市で交通事故があり
迂回させられて 時間がかかった

復路は 高速道路を使用
富士山 駐車場 到着後 すぐお弁当にする。
   
ツツジの回廊 満開を少し過ぎたぐらいでした
   
大洲市内を一望できます 東から登り 西に下りてきました。
大洲盆地中央にそびえる「冨士山」は、
その姿が富士山に似ていることから名付けられた
標高320mの山。
山頂からは大洲盆地と肱川を眼下に見下ろせる

日本有数のツツジの名所として有名で、
毎年4月下旬〜5月には6万3000本のツツジが見事に咲き、
冨士山頂がピンク色に染まります。

冨士山展望台周辺
頂上に登れば大洲盆地とそこを蛇行する肱川が一望できます。
大洲藩主であった加藤家から山頂一帯を大洲市へ寄贈られ、
都市公園として整備されています。
記念写真
    
   

大洲城に移動 街の中心にある。


 大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城(じぞうがだけじょう)が始まりといわれています。
激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、
このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。
元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主として
この地を治めました。明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)には天守も取り壊されました。
しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。城跡も県史跡に指定され
今日も大切に保存されています。4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる
江戸期の木組み模型など豊富な史料をもとに平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の
台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複合連結式天守と呼ばれる構えを成しており、
これら全ての建物を観覧することができます

元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に築城    平成16年(2004年)に復元されました。 観覧料 大人500円 
戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、
19.15mの高さは日本一
大洲城から見る 富士山  ツツジは山頂にあるだけ。