ゆらぎの森 ふじまつり | . | 2014/05/11 | . | ||
5月11日 森林公園ゆらぎの森 「パーゴラ藤祭り」 物産品展示販売、屋台など |
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自宅出発 7:49 山菜採り 打除撮影 学校駐車場 9;43 ゆらぎの森着 11:02 ゆらぎの森発 12:03 学校駐車場 13:40 筏津 13:50 大田越 14:24(10分) 筏津 14:47 フォレスタ 15:05〜15:15 自宅 着 16:00 |
自宅から 道中 山菜を採りながら別子に着く ふるさと館の前の 学校の体育館下の駐車場がガラ空き立ったので駐車 ここから ゆらぎの森まで歩くことにするウォーキング 約 1時間あまり かかりました。 新緑の季節なので 鶯の声など聞きながら |
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途中の民家に咲いていた 黄色いツツジ 向こうの山は二ッ岳 | |||
ハンカチノキ(学名:Davidia involucrata)はミズキ科(分類体系よって異なる。)の落葉高木。中国の四川省・雲南省付近原産。属名のダビディア (Davidia) で呼ばれることも多い。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチの木」や「幽霊の木」などと呼ばれる。英語では"Dove tree"(鳩の木)などという。 花はハナミズキのような頭状花序になり、2枚の苞葉(ハナミズキの場合は4枚)に囲まれる。果実は堅果で複合果となる。フランス出身の神父・生物学者であるアルマン・ダヴィッド (Armand David) が初めて報告したため、彼を記念してDavidiaと命名された。現在では世界的に栽培されている。 |
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安徳天皇墳墓 安徳天皇は源平合戦の最後に壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門と共に海中に没して亡くなった天皇である。 一一八五年、五年に渡った源氏と平氏の合戦は、壇ノ浦の海戦を最後に幕を下ろしました。武将のほとんどを失ってしまった平氏は一族郎党、もはやこれまでと覚悟を決め、平清盛の妻二位尼時子は 「青く澄んだ水の底にも美しい都がございます。さあ、そこへまいりましょう」 と、幼い安徳天皇を抱いて生みに沈んだという悲しい話が伝えられています。時に、安徳天皇わずか八歳。しかし、ことごとく滅ぼされ散り散りになった平家の落人が、中国四国の山村に逃れ、隠れ住んだという伝説は各地に残っており、安徳天皇についても様々な逸話に語られています。 瓜生野の大野という所にも、昔から村の人々が安徳天皇の墓だと言い伝えている古い塚があります。lこの塚の石を踏んだり、倒したりいたずらをすると、見る間に顔色が変わり、「ホセロ」が体一面に出て大熱病になると言います。また、不浄の物が子の前を通ると、すぐにたたりがあると言われ、皆で大切にお祀りしています。 昔むかし、この近くに住むテフという女の人が大病にかかり苦しんでおりました。熱にうかされ今にも死ぬという夜、夢を見ました。 立派な衣冠束帯を身につけた高貴な姿の人が現れ、 「わたしは源平合戦のとき、屋島からこの里に逃れてきた安徳天皇である。お前の病気はきっと治してあげるから、全快の後は塚をきれいにして立派に祀ってほしい。そうすれば一族を皆、幸福にしてあげよう」 とほほえんで言われ、消えてしまわれました。 その夜を境にテフの病は日、一日と回復していきました。そして間もなく全快して、人々を驚かせたのだそうです。 テフは、その後ずっと塚をきれいに守り続け、幸せに暮らすことができました。今もなお、その一族によって塚は大切に守り続けられています。 |
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着くと お腹がぺこぺこなので手当たり次第に 買っては食べ また買った。 たのしいイベントがたくさんありました。 | |||
ふじまつりの頃 開花する クマガイソウ | |||
新居浜まちゅり も 来ていました。 | |||
愛媛県と高知県の県境の峠 大田越 山菜とアケボノツツジを求めて どちらも無かった |
ふるさと館にある 「別子郷土誌」 |
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シコクカッコウソウと言う珍しい花がある。 5月11日は満開を少し過ぎていた かな。 |
石楠花も 開花し始めていました | ||
シコクカッコウソウ ( 四国勝紅草 ) 四国山地の固有種です。「カッコソウ」の変種で落葉樹林の林床に生え、高さは10〜20cmになります。葉は円形から心臓形で、縁に浅い切れ込みがあります。葉や茎は軟毛に被われています。4月から5月ごろ、花茎を伸ばして、赤紫色の花を咲かせます。カッコウソウは、鳥のカッコウの鳴く頃に花を咲かせることから付いた名前で、その中でもこれは四国から九州の山林内に自生するが、絶滅が危惧されています。 山野草としての特徴 |