旧別子 探索       . 2014/09/09
2014/10/04
2014/10/08
    .
   ビデオ撮影が中心で旧別子に行ってきました。

          2014/09/09           

正面の山が 円通寺の墓碑が並んでいる所 劇場の廻り舞台の跡 いつも うまく 撮影できない
接待館のすぐ隣にあった 料理屋「小富士亭」あと  いつも素通りしてしまう ここに 料亭があり 接待館に入れない身分の
商人や旅人が 心を和らげた。 

          2014/10/04           

お天気が 危なそうだ  結局 接待館まで行くが 小雨になったので 引き返す
きのこが沢山あった。マッタケシーズン 真っ盛りだ。 紅葉には 少し 早い。

          2014/10/08           

何かの 撮影隊 だった。
聞いたが 教えてくれなかった。
昨日は東平での撮影だったようだ
モデルは 小学生の男の子。
あとは スタッフ。 10人余り。
発炎筒でスモークをつくり 撮影開始。

3時半ごろまで撮影して 
東京まで帰るとの事。

劇場跡ですが 何処にでもあるような ロケ地
わざわざ ここまで 来て 撮影するには
訳があるんだろうが 費用をかけますね。
     
採鉱課長宅跡の水汲み場   採鉱課長宅跡の塀の高さが・・・・ この写真なら わかりやすい
    
劇場跡から登山道を登る。
案内板から真っ直ぐ登ると高橋
下の道を行くと 50mほどで橋にでる。
ここが「黒橋」と呼ばれている。
なぜ「黒い橋」なのかわからないが「黒橋」である。

今までこの黒橋 
「水平に架けられていて
水平に歩いて渡っていた」と思っていた。
実は 向こうのほうが かなり高く
斜めに架けられていた事に驚愕

撮影しているときは 気にも留めなかった
家に帰り パソコンで再生して
「水平があっていない」と思った
次の写真も その次も
結局 橋が 斜めに架けられていた。
目の錯覚と言うか 思い込みか
いまだに 信じられん!
    
割れた 瓶

目出度町の病院跡 近くにも 
割れた瓶がありますね。

これは 東延橋(今はない)を渡った向こうの
石垣上の平地にある。
住宅があったか? 工場か?
とにかく 広いところでした。

旧別子は 広場がない。接待館 小学校 劇場 東延
本当は 林の中に隠れているのですね。
藪の中を 歩いていると よくわかります。
    
鹿の死骸に「ドキッ!」

旧別子には鹿がいる。
近くで遭遇したことはないが。
遠くから 5〜6匹が集団で移動しているのを見かけた。

寛政谷の少し手前で 崖崩れがしていて
ロープが張っていて すこしだが 迂回路がある
その 途中に鹿の死骸があった。
往路は別に気がつかなかった。
帰りに「ドキッ!」 ヘビ より ビックリした。
腹の部分は 肋骨が白い骨になって見えている。
死後 どのぐらい経つのだろう。
多くの人が通ったと思うが 
気がつかなかったのだろうか。

私も 何とか どかしたいと思ったが
道具もなく 一人では どうすることも出来なかった。