下部鉄道 山根〜端出場       . 2014/12/10     .
   延び延びになっていました鉄道跡やっと歩いてきました  


内宮神社から取材開始です。10:48
赤い線が今回の取材場所

下部鉄道は2010年に取材開始しまして あと山根〜端出場の間が写真がありませんでした

一度は歩いているのですが デジカメのメディア を入れ忘れていて 写真がなかった。

以前の下部鉄道は紅葉時期の取材でしたので時期を合すためにこの時期になりました。
http://h2o.sakura.ne.jp/bessi/kabu/all.html
  
内宮神社を抜けると日差しの柔らかな線路道になる 立川大師や白鳥別館などがある山の根付 切り通しになっている
  
板ノ元駅 
山根製錬所の輸送基亀として設けたもの。
当時の山根製錬所は,新規有望事業として拡彊の過程にあった。
図面で見るとこの辺りになる。高速道路の下か?
えんとつ山が良く見える。
いつも見慣れている煙突の側面から見るようになります。
  
物言獄トンネル 緩やかなカーブになっている
延長約25メートル、高さ約3.8メートル、幅約4.9メートル。
機関車は最初は蒸気機関車であった。その時の煙が付けたのだろう
黒いススの煉瓦が残っている。天井のほうが黒い。
昭和31年ディーゼル機関車導入 31年末蒸気機関車運転中止
   
トンネル中央部には 電車時代の碍子が残っている。 物言獄トンネルより少し上流に県道に下る道が下りている。
自動車も通行出来る大きな道でメンテナンス用の道路だろう。
   
今は鉱水路だけが真っ直ぐ伸びている。
車屋トンネル 延長約55.2メートル、高さ約3.8メートル、幅約6.1
メートルです。一部がコンクリ補強されています。
昭和51年9月台風17号による山崩れのため立川地区の鉄道が
大被害を受け復旧不可能となる。11月鉄道撤収作業開始
別子鉄道も84年の歴史を閉した。
   
昭和52年2月別子鉄道廃止 3月撤収完了 やがて 黒石停車場が見えてきた
  
別子銅山黒石全景 絵葉書より  
明治38年,東平〜黒石索道完成と同時に.下部鉄道に複線の機関庫を備えた黒石駅が設置された
プラットホームの跡 機関車の車庫も兼ねていたので線路は何本もあった。
Docomoの電波塔が立っています。 昭和34年1月黒石駅廃止 坑水路の桁跡
檜尾川(ひのきおがわ)橋 明治32年の大水害の時なかされ復旧しましたが。
昭和6年現在のコンクリートの橋になりました。
この鉄の柵を越えれればマイントピア別子なのですが山側と谷側にも 全く隙間は無く 通行できません。
マイントピア別子側から軌道に立ち入る事を制限している為と思われますが ちょっと出してもらいたい気もします。
しかたなく いままで歩いて来た鉄道跡を引き返す事になります。
内宮神社まで40分ほどかかりました。
ちなみに往路は撮影などに時間をかけましたので2時間ほどかかりました。
10:48 内宮神社
11:07 板ノ元駅
11:13 物言獄トンネル
11:32 車屋トンネル
11:48 黒石停車場
12:06 檜尾川橋
12:13 マイントピア別子

帰りにデジカメのケースを落とした事に気が付いた
探しながら帰る。物言獄トンネル付近で見つける。

12:57 内宮神社