下部鉄管道
下部鉄管道に行くには 2通りの方法があります。
県道の日浦谷から林道を歩くか
東延から行くか

2通りの方法をご紹介します。
(探索した季節がまちまちです)

    東延から下部鉄管道に行く        

地図@のあたりで下部鉄管道の遺跡は終っている
眼下に旧別子を見下すあたり、高橋熔鉱炉跡の
北の尾根です。

下部鉄管道の水は東延には届いていないようです。
@地点から高橋溶鉱炉に向かって木の樋で
落とされたと思いますがまだ思惑の域を出ない。
  
東延の機械場(煉瓦造の建物)を下流に
進み堰堤の左端に道が見える。
荒れてはいるが 危なくはない。 3〜4分も歩くと写真のような谷に出る。
  
この横道が下部鉄管道の 東延の
終着付近です。


東延機械場から鉄管道まで10分
足らずで着きます。
上記地図@の地点

谷から登る道がついています。 尾根道を5〜6分登ると横道があります

     下部鉄管道を歩く       

明治35年の測量図に載っている下部鉄管道 
現在地点の@から矢印まで付いている。
@の現在地点から 矢印の地点に行きます
水平な鉄管道が続く 少し藪になっている 5分足らずでA地点のタンクに着く 穴が3個開いておりここから分水したようだ
貯水タンクとしては小さすぎます。
会所の大きいの分ぐらいの認識でいます
鉄管が1本だけ残っていた 真下の東延には貯水池が残っている。
タンクの計測図

    @の地点に引き返し A地点を目指します  

       @の地点から
山の中腹に横道が伸びています
これが下部鉄管道です。
ほぼ水平レベルなので
歩き易い道です。
高い木々が少ないので
旧別子の見晴らしも良い
  


土管と鉄管の結合部分は
外れています。
土管が見えます 
鉄管道と実感する一瞬です。
谷は鉄管を使っています。外径165mmぐらい
あります。
   



鉄管道は道幅はそんなに広くはない。
荷物を背負った人がすれ違えるぐらい



   尾根で会所を発見
道が崩落して土管がむき出しになっている。
土管は深さ30cmぐらいの所に通っている
       


比較的広い道のところです。


だれが通行するのか木のベンチだ
       この所の土管は1mぐらい
       深いところに埋まっている
  
道は補修されている。
  ほんと 誰が通るの?
鉄管の下半分は腐食して
 ありませんでした。
谷渡りの鉄管
 ここは湿気が多いのか 倒木は
 苔に覆われています。
 
2010年11月20日に探索したのですが
この日はAの地点で13時56分でした。
林道が続いていますが時間がないので
後日と言うことで 引き返します。
階段があり 回り道になります。
 鉄管道から少し外れますが すぐ
 元の鉄管道に合流します。
Aの地点です 林道に出ました。
 タイムトンネルから抜け出た感覚でした。
 

        県道から林道を歩く   

Aに行くにはA地点の県道から歩くのが
楽なので林道を歩きます。


日浦谷の林道入口脇に駐車(標高800m)
林道は鎖がしてあり関係者以外車での
通行は出来ません 
  
この下の谷の水はトンネルによって
別子ダムに送られ 東平経由で
鹿森ダムにある発電所に送られている。
上・下鉄管道もそうですが いつの時代も
水は遠くから運ぶものなのだろうか。
林道は晩秋の風情そのままに
枯れ葉を踏みしめてウォーキング
住友共電さんの「日浦取水口」
  
上記地図Bの地点 林道分岐 正面に
 前赤石 物住頭山が見える
索道場 ここから東延に物資を送っている。
メンテナンス用の資材だと思われます。
下部鉄管道に出ました。(標高1180m)
Aの地点から1時間30分かかりました。
  

      下部鉄管道を歩く   

下部鉄管道は林道になった

昭和36年に着工した別子ダム建設の時 この奥の採石場から石を取り出した。
その時にこの林道を使ったようです。ほとんど水平に採石場まで続いているこの下部鉄管道は
林道にするには格好の場所だったのではないでしょうか
いつ この林道が完成したかは今 確認中です
したがって 下部鉄管道としての痕跡はきわめて少ないものになっている。

時代劇映画にでも出てくるような林道です。
 誰に会うこともなく 一人気分満喫です。
 
Aの地点から30分 初めて鉄管道の痕跡が見えました。
谷を渡る鉄管です。ジョイントの部分もしっかりしていて、まだ導水が出来そうな気がします。
土管も顔を出しています。
   
Cの地点付近
採石場が見える。かなり広範囲に
山が抉り取られている。
路肩の崩れた所に土管が見える。
道路からの 深さ55cmの地点です
C地点まで あと2分の所
落石で道が塞がれている。ここまでなら
4駆ですと来られます
  
C地点から林道が少し勾配が付いてきました。少しづつ登り始めています。 
今までほぼ水平だったのが ちょっと変ですね? 上記地図で判るように林道はここから 
下部鉄管道とは別に造られています。
  
--------------------------- 林道から鉄管道に  --------------------------------------------
  
2分ほど沢を下ると石垣が見える
ここが元の鉄管道のようです。
小屋が潰れていて トタンが散乱している。
トタンの腐食具合から見て採石より後と思う
人が通らないので 木々は伸び放題
となっています。
 

トタンのところから10分の地点
土管がありました。
外径が21cmでした
石垣の鉄管道は続いています。
  


赤い線が鉄管道と思われる線です。
Dの地点   鉄管道は採石場に突きあったる

昭和36年ごろから この採石場から石を切り出し  今 通ってきた 林道をトラックで別子ダムに運んだのだろう。
林道は 崖のすぐ上を通っている。切り立った崖ですので 引き返し林道を歩く事にする。
  
Eの地点
林道の終点
林道はここで終わっている。車が方向転換で来るぐらいの
広場になっている。山際には石垣があるので何か施設があったのかもわからない。

ここで 10分ぐらいの休憩をとる。
鉄管道を求めてEの地点から 下る。
道はないが 容易に降ることができる

 
   

------------------------------------再び鉄管道----------------------------------------------

3〜4分も降ると鉄管道が見つかる。 谷の脇に小屋の潰れたような跡がある こちらの鉄管道は歩き易い
登山道になっているようです。
  


鉄管道に土管ではなく鉄管が埋もれている。
外径18cm前後。

日浦谷にでる  林道から18分かかりました。 F地点

------------------------------------ 取水口 ----------------------------------------------



残った土管の先は 谷です。
この谷を遡っての土管敷設はないと思われます
谷の辺りを見回すと導水路の先に土管が現れていました。
先端は折れ その先は谷に落ちています。
残った土管は木の根に巻き付かれて現状が保たれているようです。
赤丸のところが残された土管の先端部です。
この近辺に吸水口があったのではないかと推測します。
谷に作られた吸水口は長い年月で破壊され下流に流されたと思います。

      下部鉄管道からつづく道   


下部鉄管道 その続きを確認しました
赤い線は 林道と 下部鉄管道です
今回は青い線を歩きました。
最初は登りだったので気分良く登っていきました。
道も使われているとは思わないがそこそこ歩けます
炭焼きの跡などもありましたが 別子銅山とは
あまり縁のないように思いました。
途中 崩れていたり 足場が悪かったりして 道を
見失う場合もありましたが、進むに連れて
下りだして 山師の道の気配になりました。
林道にでました。どこに出たのかさっぱり判らず
取りあえず下ることにした。
10分も歩くと 林道から登り始めた所に・・・・
やっと ぐる〜っと廻ってきたことに気づく。

青い線の道は別子銅山の時代の道ではなく
住友林業の山道のように思われました。

       おまけ 下部鉄管道への近道   

地図でD地点です。
Aは旧別子登山口
Bは日浦谷の林道入口
Cは索道場

Aから接待館の上を通ってCまで 45分
Bから林道を歩いてCまで 90分

林道は歩きやすいが時間がかかります

Cの索道場から10mぐらいのところに
わかりにくいが尾根道の入口がある。
整備されていて歩きやすい。
林道をぐる〜っと廻らなくて時間短縮になります