鉄管道
  • 鉄管道とは日浦谷などから 旧別子に水を送る為の水の道のことです。
  • 旧別子には水が少ない為 遠方より水をひいていました
  • 住人にとっては命の道だったのです。
  • 鉄管道は 上部鉄管道と下部鉄管道の2本の道があります。
  • 鉄管道について調べると 1冊の小冊子に詳しく掲載されていた。
  • 「山村文化」の4号の31ページから始まる「上・下部鉄管道」がそれである
  • 著者は高橋幹氏
  • 「鉄管道について、可能な限り史料や絵図を調べたが、こ
  • れに言及したものは全く見当らない。二本の鉄管道は、各々
  • 延長五キロメートル近くあり、嶺北の上部鉄道跡に匹敵す
  • る長大な遺跡である。これだけ大規模な工事がなされたの
  • であるから、何らかの記録は残されていると思うが、今の
  • ところは、現地を歩いて得られた情報をもとに、ある程度
  • の推測を交えて書くしかないことを、最初にお断りしておく。」
  • この本は新居浜市立図書館にあります
  • 興味のある人はぜひ熟読ください。貸し出しも出来ます。
  • 資料のない鉄管道のことは この高橋幹氏の「上・下部鉄管道」
  • がバイブルである。
             上部鉄管道を見る


             下部鉄管道を見る
高橋幹氏の
「上・下部鉄管道」の地図


「二本の水路跡は、現在鉄管道
と呼ばれている。
上部水路には鉄管が使用された
形跡はないが、ここでは通称に従っ
て、上部水路は上部鉄管道、
下部水路は下部鉄管道と書く
ことにする。」

私もこの高橋幹氏のとうり鉄管道と
記する。

下部鉄管道は主に土管を使って
いたようで 谷の渡りに鉄管を
使用していたようです。
地図に最近の情報を入れてみました
地図に最近の
情報を入れてみました

@ 林道は入口に鎖があり
   一般車通行止めです。
A 林道を歩いて下部鉄管道まで
   1時間30分かかります。
B 下部鉄管道から上部鉄管道
   までは15分です。
C 
   

    東延 水槽  

上部鉄管道・下部鉄管道によってもたらされた水は 東延にある水槽に集められ 各施設に分配された。



木が邪魔で石垣がよくわかりませんが 寸法を入れてみました
約13mX6.5m で深さは1mぐらいでしょうか
小さい木を伐採して 見通しをよくしました
煉瓦で 水槽の縁は広くしています
「100年新居浜・西条・東予」31ページより 東延の採鉱課全景 
 明治30年代の写真ですが赤い枠を拡大します
赤枠の中に白い線があります これが鉄管道から水槽までの水路と
思われます。水路を支える支柱が少ないので鉄管ではないでしょうか

    東延 から 鉄管道まで  

場所的に判りにくいので地図で説明します
@東延の水槽
A下部鉄管道タンク
Bそーめんの滝が見えた
C横道を発見
D上部鉄管道最終地点

 


すぐの所に岩の真ん中をくり抜いたような
跡が見つかる。ここに水路を通したと勝手に思う


下部鉄管道のタンクが見えた。
東延の水槽から10分余りで到着。
水槽の横の崖を登る。
地図 A の地点 下部鉄管道 
煉瓦の建造物は下部鉄管道のタンクです。
下の石垣は何のために造られたのか解りません。
コの字形に囲っているのではなく私が登ってきた
崖の方が石垣を積んでいません。
こちらから水路が東延に下っていたと思う
石垣の周りを調べましたが パイプとか穴は
あいていませんでした。
下部鉄管道のタンクを後に上部鉄管道に
向かいます。 
赤い道は下部鉄管道 ほぼ水平に
取水口まで伸びています
青い線は上部鉄管道から東延に伸びる水路と
思われる。
石垣がある。この上に木製の
水路があった?
地図B
振り返ってみた 水路跡だと思う

地図C 
11:33 少し開けたガレ場に出た。細い道が付いて
いるよく見ると人の歩いた跡ではなさそうです。
何故かというと動線が狭すぎるし足跡が棒状です。
たぶん鹿の道ではないかと思う。
昨年5〜6頭の群れの鹿を見た。
東延上部のそうめんの滝が見える
石が並んでいます 
 「いしよし 水路だ」と独り言を言う。
ガレ場に出た。 お腹がすいたのでお昼にする。
 女房に造ってもらった特大おにぎりが3つ。
 暖かいお茶 目の前には 雪の平家平
 至福のひとときである。
歩いてきたところが見える
 一番下より下から 尾根伝いに登ってきた。
地図D
 尾根の一番高いところに到着した
 鉄管道の水は その向こうの 低いところから
 東延に落とされたようです。

東延の水槽から 40分ぐらいで登れました。
楽な尾根道を行く

上部鉄管道と下部鉄管道の ご案内は この水路のところから 始めることにします。

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