高橋幹氏の 「上・下部鉄管道」の地図 「二本の水路跡は、現在鉄管道 と呼ばれている。 上部水路には鉄管が使用された 形跡はないが、ここでは通称に従っ て、上部水路は上部鉄管道、 下部水路は下部鉄管道と書く ことにする。」 私もこの高橋幹氏のとうり鉄管道と 記する。 下部鉄管道は主に土管を使って いたようで 谷の渡りに鉄管を 使用していたようです。 |
|||
地図に最近の情報を入れてみました | |||
地図に最近の 情報を入れてみました @ 林道は入口に鎖があり 一般車通行止めです。 A 林道を歩いて下部鉄管道まで 1時間30分かかります。 B 下部鉄管道から上部鉄管道 までは15分です。 C |
|||
東延 水槽
上部鉄管道・下部鉄管道によってもたらされた水は 東延にある水槽に集められ 各施設に分配された。
木が邪魔で石垣がよくわかりませんが 寸法を入れてみました 約13mX6.5m で深さは1mぐらいでしょうか |
|||
小さい木を伐採して 見通しをよくしました | |||
煉瓦で 水槽の縁は広くしています |
「100年新居浜・西条・東予」31ページより 東延の採鉱課全景 明治30年代の写真ですが赤い枠を拡大します |
赤枠の中に白い線があります これが鉄管道から水槽までの水路と 思われます。水路を支える支柱が少ないので鉄管ではないでしょうか |
||
東延 から 鉄管道まで
場所的に判りにくいので地図で説明します @東延の水槽 A下部鉄管道タンク Bそーめんの滝が見えた C横道を発見 D上部鉄管道最終地点 |
|||
すぐの所に岩の真ん中をくり抜いたような 跡が見つかる。ここに水路を通したと勝手に思う |
下部鉄管道のタンクが見えた。 東延の水槽から10分余りで到着。 |
||||
水槽の横の崖を登る。 | |||||
地図 A の地点 下部鉄管道 煉瓦の建造物は下部鉄管道のタンクです。 下の石垣は何のために造られたのか解りません。 コの字形に囲っているのではなく私が登ってきた 崖の方が石垣を積んでいません。 こちらから水路が東延に下っていたと思う 石垣の周りを調べましたが パイプとか穴は あいていませんでした。 |
下部鉄管道のタンクを後に上部鉄管道に 向かいます。 赤い道は下部鉄管道 ほぼ水平に 取水口まで伸びています 青い線は上部鉄管道から東延に伸びる水路と 思われる。 |
石垣がある。この上に木製の 水路があった? |
|||
地図B | 振り返ってみた 水路跡だと思う |
地図C 11:33 少し開けたガレ場に出た。細い道が付いて いるよく見ると人の歩いた跡ではなさそうです。 何故かというと動線が狭すぎるし足跡が棒状です。 たぶん鹿の道ではないかと思う。 昨年5〜6頭の群れの鹿を見た。 |
|||
東延上部のそうめんの滝が見える | |||||
石が並んでいます 「いしよし 水路だ」と独り言を言う。 |
ガレ場に出た。 お腹がすいたのでお昼にする。 女房に造ってもらった特大おにぎりが3つ。 暖かいお茶 目の前には 雪の平家平 至福のひとときである。 |
歩いてきたところが見える 一番下より下から 尾根伝いに登ってきた。 |
|||
地図D 尾根の一番高いところに到着した 鉄管道の水は その向こうの 低いところから 東延に落とされたようです。 東延の水槽から 40分ぐらいで登れました。 |
|||||
楽な尾根道を行く |
上部鉄管道と下部鉄管道の ご案内は この水路のところから 始めることにします。
を見る を見る | |||