「保線小屋」「給水タンク」の看板がありました。 勉強不足で 小屋とタンクがあったのかぐらいしかわかりません
 わかり次第 訂正します
「第二岩井谷」に着きました
まだ「第一岩井谷」を通っていません。と言うことは 逆順かな? 

石ヶ山丈から出発すると「第一岩井谷」「第二岩井谷」と通ることになります。
順番どうりです

私は 鉱石を積んで運ぶのだから始発駅が「角石原」で終着駅が「石ヶ山丈」
と思っていたのが間違いなのでしょうか。
もともと始発駅とか終着駅とかの区別がなかったのでしょうか。
この橋は最近架け替えられました。
 友人が撮影した写真を提供してくれました。
以前の橋はこの橋でした。
同じ橋台に架け替えられたので
以前の橋は撤去されました。
腐っていて 渡れる状態では無かったですね。
上部鉄道の橋は木製か鉄製か?

「第二岩井谷」の橋台から橋台の間も長いですね。唐谷も長かった。

橋は「木製」だった。と思います。

橋台と橋の連結部分に鉄を使っていないよに感じました。
下の写真のように橋の乗るくぼみの高さはかなりあるのですが
雑草・木などに覆われて目視できませんでした
次回 行った時 道具を持参して確認してきます。

「別子銅山記念館」で尋ねたの
ですが、わからないそうです。機関車が走っている写真はあるの
ですが、谷を渡っている写真はないそうです。
「上部鉄道の橋は木の橋でした」

 2009/11/21 末岡照啓氏(広瀬歴史記念館名誉館長)の
講演がありその中で 「橋は木製で朽ち果て 橋台だけ
残っています」とおっしゃられました