元 瀬場発電所 | ||
この小さな発電所 経歴が面白いので取材しました。 |
昭和28年(1953)完成 → 平成15年(2003)3月31日 住友共同電力 譲渡 |
別子山村営発電所竣工 本村の電力は従来四国電力株式会社より単相30サイクルにて夜間のみ受電していたのであるが電圧降下や周波数等種々使用の制限をうけていたので銅山川支流の豊後谷を利用して小水力発電所を建設し村内一円に安定した電力を供給し製粉精米、簡易索道、製材その他の動力及び点灯の電化を行い、産業開発、文化向上を目的として企画され、次のように村営として竣工した。 |
① 総工費1900万円 ② 工期昭和28年4月20日着工 12月25日完成 ③ 出力常時36kw 最大74km ④ 落差実落差130m 常時126m 最大有効118m ⑤ 水路 延長582m 幅45cm 高さ48cm ⑥ 水車 ベルトン水車 90kw ⑦ 発電機 三相交流220V8極 900R・P・M 60サイクル90kw ⑧ 送配電線 延長高圧11.8km 低圧1.2km ⑨ 電話 発電事業の附帯工事として村内各部落に部落電話を設置す。 総工費110万円九回線、電話器数26個 交換台は別子山村役場に設置、総延長9km 別子山村史より |
下記は 「住友共同電力百年史」199ページ の内容 村史とは少し違う |
別子山村は四国電力の配電線が未整備で長らく無電灯地区であったため、当時施行された農山漁村電気導入促進法を活用して、地元森林組合が主体となり、自ら水力発電設備(瀬場発電所(現:別子山発電所)、小美野発電所)を建設し、1959年(昭和34年)より村民に対して電力の供給を行ってきた。 |
撮影=2015年6月23日 | 撮影=2015年6月23日 |
別子山村が設置した発電機。71kw 撮影2015年11月10日 |
取水口 ←取水口から見える八間滝 |
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平成15年(2003)3月31日 住友共同電力 譲渡 |
譲り受けた設備 ①小美野発電所(1,000kW)の建屋、発電設備一式 ②瀬場発電所(71kW、現「別子山発電所」)の建屋、発電設備一式 ③変電、送配躍設備一式 ④管理事務所 |
㈱住友共同電力による一般家庭への電力供給開 |
2015年11月10日 発電所更新工事起工式・安全祈願祭 が行われた。 |
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発電機が撤去された。 撮影=2015年11月29日 |
2017年3月30日 別子山発電所更新工事竣工式・安全祈願祭 |
2017年3月30日 更新した新しい発電機 150kw | |
別子山の電気の歴史 | |
新居浜市・別子山村合併協議会資料より |
昭和16年頃まで | 別子山村地区は無灯火 |
(一部筏津地区の鉱山関係者のみ住友鉱山関係から電気供給されていたと思われる) | |
昭和17年 | 鉱山から全村に配電される |
昭和27年4月 | 別子山(瀬場)発電所建設計画 |
6月 | 水利使用許可を得る |
昭和27年12月 | 別子山村土地改良区設立(発電の事業主体とするため) |
昭和29年1月 | 別子山(瀬場)発電所一部発電開始 |
昭和30年1月 | 別子山(瀬場)発電所71Kwで発電開始 |
昭和32年12月 | 別子山村森林組合を設立、事業主体を別子山村土地改良区から移管し、小美野(最大出力1000Kw)及び保土野(最大出力30Kw)の両発電所建設を計画 |
昭和33年3月 | 小美野及び保土野発電所建設工事着手 |
昭和34年10月 | 小美野発電所発電開始 |
昭和37年 | 保土野発電所開始 |
昭和46年6月 | 保土野発電所休転 |
昭和51年9月 | 保土野発電所台風16号及び17号により施設損壊する |
昭和56年3月 | 保土野発電所廃止 |
別子山村と住友共同電力 |
下記は「住友共電社史瀬場発電所」199ページからの転載。 |
別子山地区の電力事情と当社との関係 別子山村は四国電力の配電線が未整備で長らく無電灯地区であったため、当時施行された農山漁村電気導入促進法を活用して、地元森林組合が主体となり、自ら水力発電設備(瀬場発電所(現:別子山発電所)、小美野発電所)を建設し、1959年(昭和34年)より村民に対して電力の供給を行ってきた。 当社は、別子変電所から森林組合の小美野発電所までを送電線で連系し、不足電力の供給や余剰電力の引き取りなど、別子山村の電力供給を下支えする役割を担ってきた。 |
事業承継の背景 |
平成の市町村合併によって、発電所経営に転機が訪れた。1973(昭和48)年の別子銅山閉山後、村では急速な過疎化と高齢化が進み、森林組合の自力運営が段々と難しくなっていたところに湧き上がった合併問題は、この電気事業の将来方針を決定する引き金となった。 当事者である別子山村森林組合では、村民の日常生活を支えてきた事業を合併後どうするか、2001(平成13)年12月には学識経験者を交えた専門委員会(注1)を設置するなどして、検討が続けられた。このころ別 子山村は、2003(平成15)年4月1日を合併期日とする新居浜市との合併をすでに決定しており、森林組合についてもいずれ何らかの対応が必要な情勢下にあった。自前の割安な電気を長く受けてきた地元住民にとって、新居浜市との合併後これまで同様の条件で電気を受け続けられるかどうかの関心は高く、森林組合では事業の将来をどう舵取りするか真剣な議論が続いた。 地元の意向が固まるのは早かった。2002(平成14)年5月、森林組合から「新居浜市との合併を機に電気供給事業から手を引くので、その後の供給を共電に引き継いでもらいたい」との意向が当社に伝えられた。 設備一式を当社に譲渡し、これまで同様世間水準よりも割安な供給条件で当社から電気を受けたいというものであった。 もとより、当社にとってこの問題は決して他人事ではなく、森林組合の事業承継を含め当社としてどう対応すべきか、かねてより種々検討を進めていた。合併まで1年を切るだけに、準備の時間を含めると時間は限られており、社内検討ならびに関係先との協議を急いだ。 (注1) 専門委員会には森林組合の要請を受け、当社も委員として加わった。委員会は2001年12月から翌年2月まで開催され、2月15日に答申書を提出して結審した。 |
翌2003年4月に新居浜市と別子山村は予定通り合併し、5月29日に開催された合併記念式典の席上、合併後の電気事業を承継し、合併に伴う懸案事項の一つを解消したとして、新居浜市長から当社に対し表彰状と記念品が贈られた。 |
地元要請の応諾 |
前述のとおり、当社は別子山村森林組合のこの事業と長く関わってきた上、この地は別子ダムを抱える当社の事業地で住友源流の地でもあり、別子山村の電気問題は自らの手で解決に導きたいとの思いが強 かった。 この問題への対応の焦点は2点に集約された。一つは発電設備その他の設備を引き取ることができるかどうかであり、もう!点は地域住民への電気の小売供給を当社が受任できるかどうかであった。 発送配電設備等については実物を詳細に見て回り、想定される将来の必要更薪時期や保全コストなどを調査した。発変電関連の設備は随所に劣化は見られたものの、すぐに多額の投資を要するものではなかっ たが、送配電設備は譲受後大がかりな建て替えが必要と予想された。 2点目の小売供給は一義的に四国電力がその任を負うものであり、当社からの供給が可能かどうか法的見地から見極める必要があった。種々検:討の結果、1995(平成7)年の電気事業法改正で創設された「特定電気事業」の制度を活用することによって当社からの供給が可能との見通しを得た。 こうした検討をもとに、当社は電気設備一式の譲り受けと地元への電気供給を決心し、2002年8月別子山村森林組合に対し、応諾の意思を伝えた。決心に当たっては、当然のことながら自然エネルギーとしての水力発電所の希少性や採算:性も考慮したが、地元の期待に応え共存共栄を図りたいとの思いが後押しした。その後、関係先との詰めを行い、同年12月社内決定した。 |
別子山発電所のリニューアル |
別子山発電所は、2003(平成15)年2月に旧別子山村森林組合から譲り受けた最:大出力71kWの小水力発電所である。しかしながら、1955(昭和30)年1月の運転開始から2014(平成26)年現在で59年が経過し、設備の高経年化が進み、導水路、水圧鉄管、水車発電機等を中毛、に大掛かりな更新が必要となっていた。 当時、2020(令和2)年以降の温室効果ガス削減目標に対する国際的枠組みの採択を目指す取り組みが行われており、2011(平成23)年の東日本大震災での電力ひっ迫や、2012(平成24)年に施行されたFIT制度など、再生可能なクリーンエネルギーの重要性がクローズアップされていた。 単純な更新では経済的に成り立たず設備投資ができない状態であったが、経済的に成り立つスキーム(FIT制度の活用など)と、取水量の増量による発電出力の増加により、事業性の向上を図った。 更新に当たっては、水圧鉄管等の土木設備の改修を行うことで、FIT制度上の「新設設備区分」の扱いとなった。 |
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