国土地理院発行の五万分の一の地図を広げてみると「一ノ谷越」の表示はない。
冠山から西北に尾根が伸びチチ山の別れまでの鞍部が一ノ谷越である。
ここから別子山方面には、なすび屋敷を経由して住友林業フォレスターハウスまでの登山道があったのだが、台風で山崩れがあったり、橋が落ちたりして現在は通行止めとなっている。高知県側に下る道は無いようである。

登山地図には「一ノ谷越と書かれているが現地には表示がない。奥の方に木に巻き付けられた小さな案内板がある。字が消えかかっているが、よく見ると「一ノ谷越」と読める。2015年5月27日に通った時には「さぬき山好会」の文字も読めた。
歴史的に古い峠ではあるが、けっこう人が行き来している。ちょっと足を伸ばしたい山好きには、ここを歩くと7~8時間のロングコースとなる。

平家平・冠山・チチ山・笹ヶ峰・寒風山 個性のある山が連なる。残念な事に、一ノ谷越から北に向かい なすび屋敷までの道は危険なため立入禁止になっているし、南に向かう一之谷橋までの道も廃道になり、道すら分からなくなっている。
       
一ノ谷越



①尾根道を挟んで左が高知県 一之谷方面。右が愛媛県 七番・なすび屋敷方面。
②愛媛県側から見た一之谷越。古い看板が朽ちて散らばっている。峠としての役割がなくなった。
③峠に散らばる炭。ここには石が休場がなく、荷物は木の元に降ろして休んだのか、木の根元に炭がある。
④通行禁止の看板。登山道として使われていたのですが危険な道になり、歩けなくなりました
  
⑤通行禁止の看板を越えると登山道が続いている。長年踏み固められた道なので今も通行できる。
⑥しかし、メンテナンスがなくなり、誰も歩かないと、崩れた所はそのままとなり、廃道となる。
⑦ 2016年に来た時もここが通れなかった。これから危険な道となり通行禁止。峠から10分。
  
⑧一之谷越から一ノ谷に下る道。こちらも、道はあるが、
⑨10mも進むと道は荒れてきて廃道になっているのがわかる。
⑩さらに進むと見晴らしがよくなり林道も見える。赤い矢印のあたりまで炭の道があったと思うが?
       
なすび屋敷から一ノ谷越へ


一ノ谷越からなすび屋敷に下りたいのですが、あいにく通行禁止になっています。
 2016年9月24日に探訪した記録があるのでこれを利用します。
なすび屋敷から一の谷越に向かいます。


①通行止になり 木が生え、道が分からなく、なっています

②道が獣道のようになり、慎重に歩いてやっと通れる
③源流の碑 銅山川源流になっている。平成13年8月の設置になっている。あかがねの川協議会とある。
④ 地面から水が噴き出している。このような源流は初めてなので感動。
⑤ ここで大きく崩落 これ以上は危険と判断 尾根に這い上がる事にした。もちろん道は無く30分かかって尾根道にでた。
最後の方は藪漕ぎであった。
その他文献に見る

口銭運上は起炭10貫目につき4分5厘で毎月上納すること、敷銀60貫目を土佐藩の大坂蔵屋敷に納め、製炭が終了次第無利息で返却を受けること、炭搬出は番所で改め、抜け道から出せば敷銀・炭山は没収することなどが規定された。なおこの時立川銅山では、山師銭座四郎兵衛が一之谷山・権之助山を落札している。
住友林業社史 上巻50ページ

一ノ谷越
144 正徳4年(1714)  立川銅山は一之谷山・権之助山を請け負う
146 寛政9年(1797)  土佐一之谷山で製炭等を行う、寛政12年まで
148 安政7年/万延元年(1860)  土佐上瀬戸山・一之谷山で製炭等を行う、明治元年まで

 
土佐の桑瀬からは、桑瀬または、一の谷-乳山(笹ヶ峰の東の山、青坐礼又は七番山とも言い1619m)と冠山間の鞍部-乳山とつなくり山の稜線-大阪屋敷(以下前項と同様)乳山と冠山間の鞍部を寺川越とよんでいた。
 別子山村史49ページ