きれいな峠である。しかし、「西山越」の表示が何処にもない。案内板はたくさんあるが、登山者用の行先案内板である。西山越は宿から登ってきて反対側(別子銅山側)へ抜ける峠だったが、今は別子銅山側は道が崩壊して通れなくなっている。 峠の一番高い所に、私が「井桁マークの石」と呼んでいる石柱があった。これは、境界杭で、住友の土地と他の地主との間に建てられているものである。ここまで、山を買って炭や木材を調達した事になる。「チチ山の別れ」や「チチ山の山頂」でも確認しているので、この3点を結ぶと広範囲が住友の山であったのだろう。石柱であるが、少しだけ頭の出ている物もある。住友のマークがわかるギリギリまで埋まっている物。旧別子の登山道で円通寺跡の橋を渡った所にあるものがそれである。また地面から抜け出して転がっている物もある。西山の山頂にある。長さが1mほどある。昔の人はこの重たい石柱を山中まで人力で運んで境界を堅持した、大事な山だったのでしょう。マークの背面には漢数字の番号が彫られている。西山越の石柱は「二九三」であった。 |
西山越のルートを見てみましょう。左記地図は愛媛県東予地方局が作成した炭の道の地図である。西条市の川来須から西山越をし、別子銅山までの道筋がよくわかる。 一之谷越、三ツ森峠は土佐藩に通じる道ですが、西山越は西条藩との道です。 |
川来須から西山越をし、別子銅山 ここがもっとも厄介な探索ルートになりそうだ |