「雲ヶ原越」を説明する前に、「雲ヶ原は何処か」から吟味しなくてはならない。
加藤正典著の「炭の古道」10ページに
左記の写真(部分拡大)が載っている。

西赤石山と物住頭(ものずみのあたま)の間に位置し雲ヶ原と雲ヶ原越の文字が並ぶ
写真の下には地図があり「愛媛県行政資料 藩政期・明治期絵図より作成」と断りがある。
「西赤石山と物住の頭を結ぶ約1.5kmの背梁で、これを越える鞍部が雲ヶ原越で、五良津山、種子川山村から吹方への炭の道です。」と但し書きがあります
実は、上の写真と下の地図は「雲ヶ原」の場所が違います。
左記地図は「宇摩郡地図 地誌付」と名前が付いてインターネット「媛県立図書館デジタルアーカイブ」で見ることが出来ます。
西赤石山と物住頭の間は「雲ヶ原」は正解です。
明治時代の地図で「上兜山」となっているのは現在の「物住頭」です。
物住の頭には名前がなかった。しかし、ここは縦走路と種子川から来た道の交叉点に当たり、名前がなくては困るので昭和34年(1959)に私が名付けた。物住の奥にある高い出という意味である「赤石山系の自然」84ページ(伊藤玉男著)より
左記の地図で雲ヶ原に峠は無く物住頭の東に道がある。絵図で、この道を追っていくと現在の土居町上野、関川の東で11号線と交差する。絵図には「別子山村道路」と記されている。
加藤正典著の「炭の古道」で雲ヶ原越の記述は少なく、炭山の歴史の項目の表に左記 3点が記されている。雲ヶ原越を通る場合、1703年1789年は上野村になっているが、1807年には種子川村になっている。種子川村から峠越えをするには、物住頭の東を通るより、雲ヶ原を越えた方がはるかに近い。
西暦 年号 町村名 旧町村名 炭山名 峠越 藩名
1703 宝永3 立川銅山 上野村 五良津山 雲ヶ原越 幕領
1789 寛政元   上野村 五良津山 雲ヶ原越 幕領
1807 文化4 新居浜市 種子川村 種子山 雲ヶ原越 幕領
では 他の文献はどうなっているのだろうか?
雲ヶ原越 標高1589m 物住頭の東を越え土居に下る
雲ヶ原越B 標高1527m 雲ヶ原を越え新居浜に下る
別子開坑250年史話_41ページ
発行 昭和16年(1941)
西赤石山と上兜山の間が「雲原越」となっている。石ヶ山丈を回り込んでいるので、
   雲ヶ原越B
赤石の四季_104ページ
こちらの地図は物住頭の東にあります。
 雲ヶ原越A