登山口                                               
 
   旧別子とはこの登山口から上流で 銅山採掘のため繁栄した別子銅山の跡のことである。
最盛期には人口は愛媛県下4番目に多い1万人余りも住んでいたのですが
今は 誰も住んでいません。旧別子は行政区で「別子山村」に属していたのですが
平成の大合併により 新居浜市に編入され 自治体としても消滅しました。

県道の看板は「旧別子銅山跡入口」となっていますが 通称「旧別子登山口」と言っています。
「旧別子入口」では ないのです。
ここからは 登山です。気をつけて行ってください。
   
       
       
   県道47号を
山根公園--- 5分 --マイントピア別子- 22分 --
大永山トンネル-- 8分 --別子ダム-- 4分 --登山口
   山根公園から車で約40分かかります。
  登山口には駐車場と看板 トイレがあります。
駐車場は10台ぐらいしか止められません。
一番混雑するのは西赤石山に「アケボノツツジ」
の咲き乱れるゴールデンウィークごろです。
周辺の路肩にも駐車しています。
       
       
   ここは 旧別子探索の人はほとんどいません。
私ぐらいですね。
ハイキングのつもりの人はダイヤモンド水まで。
軽い登山の人は銅山峰まで。ちょっと山登りで
西赤石山まで。本格派は東赤石山までの縦走と 
目的に応じた登山基地になっています
   公衆トイレです。
この入り口のデザイン
ちょっと変わっていますね。
何かをイメージしてのデザインです。
旧別子を探索すれば答えが見つかります。
これから先 ダイヤモンド水までトイレはありません。。
       
 
   旧別子銅山案内図
   
       看板の文字

旧別子登山ロ
旧別子とは過去に繁栄した別子銅山の跡と言った意味である。
ここの高さは海抜約800m、銅山峰は約1,300m、高度差約500m、
道程にして約3.2kmの間に元禄時代から大正5年まで225年に
わたる間の無数の産業遺跡が眠っている。それらの遺跡を
たどれば、今日の住友グループ、そして工都新居浜発展の原点は、
ここ旧別子にあるということが想像できる。
この辺りは吉野川の支流銅山川の源流域で、各所の河川の水は
西側にある別子ダム(有効貯水量542万トン)に貯水してトンネルで
新居浜側へ送り、発電や農・工業用水として利用されている。
別子ダムは新居浜市の貴重な水瓶である。
       
      新居浜市の中学生が全員 別子銅山学習で日浦から東平まで 現地を歩くようになった。
また住友グループも住友発祥の地と言う事で
新入社員や幹部候補生など銅山峰を目指す。
登山口にマイクロバスが止まっている風景は
珍しくなくなった。 
       
   ギボウシ
7月梅雨開け前から花路咲かせ登山者の目を和ませる。   日本で 普通にみられる花のようですが まとまって咲いているのは、あまり見られません。   東赤石山のシコクギボウシに大変よく似ている。   私は花の色が薄いぐらいしか わからない
   
       
   
   看板の奥の階段から出発です。
標高は私のGPSで823mです。
銅山越1294mまで 標高にして471m 
登山では1時間40分ほどかかります。
(休憩時間含まず)
産業遺産をゆっくり見学すると銅山峰には12時ごろに着くと思います。
産業遺産めぐり
  出発 9時 → 帰着 15時(平均時間)
   最初はゆっくりしたハイキングコースです。
道も橋もちゃんと整備されてとても歩きやすいところです。

イノシシ・シカ・サルが生息していますが人前に現れる事はまずありません。
マムシ・スズメバチがいます。気を付けて下さい。
       
       
   近頃ではこの山道を銅山峰登山道と呼んでいるが、元は泉屋道と
言って 別子銅山で掘り出し製錬された銅を天満浦に運ぶ道だった。
元禄4年~元禄15年(1691~1702)まで使われた道で 第一次泉屋道
と呼ばれていたが ほとんどの人は知らないだろう。

足谷山-弟地-芋野-小箱越-出合峠-勘場平-店の別れ-中の川-
浦山-天満浦までの35kmの輸送路を運んでいた。

300年も前に仲持ちと呼ばれる人達が45キロも荷物を背負って
この道を下って行ったかと思うと、わずか5kgか10kgのリックを
背負ってふうふうと言っている私は情けない気もする。
   
       
 

2022/06/15