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山村文化19号 35ページから41ページにかけて別子銅山の遺跡Ⅱ(平成12年5月発行)と題して高橋幹氏が 「小足谷収銅所」を特集されています。私の知る限り最も詳しい文献なので少し紹介します |
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湿式収銅法とは、硫酸銅を含む鉱水の中に鉄片を入れると、鉄片の表面に銅が沈着することを利用した収銅法である。この方法を使うと、従来は貧鉱として破棄されていたものから銅を採ることが出来、かつ収銅の過程で硫酸を製造することも可能である。
具体的には、鉄片を入れたトイ式置換槽と杉の葉を生け垣状に並べた箱式沈澱槽を組み合わせ、緩い傾斜をつけて一定の速度で鉱水を流し、鉄と杉に銅を析出させるのである。 |
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明治31年末、 小足谷疎水道の廃水を坑口対岸に導き、石灰を以て中和したる後銅山川に放流せり。
明治32年4月、沈澱銅採収のため小足谷疎水道内に沈澱箱を設置して、鉄沈澱法に依り銅分抽収せる 後、
石灰に依り中和して放流せり。
明治35年9月、第三通洞貫通し次いで東平及び山根の沈澱装置並びに坑外水路完成
明治38年11月 端出場ー新居浜間の坑水路完成 排水は新居浜の海中へ放流
明治39年、 小足谷及び寛永谷に於ける坑水処理装置を廃止せり。 |
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小足谷収銅所は寛永谷収銅所同様に、極めて短命であったことが分かる。(当会員の山川静雄氏の記憶によれば、昭和20年代後半に、小足谷収銅所の一部で細々とだが、作業が行われていたらしい)しかし今、小足谷の収銅所跡を訪ねると、これが僅か10年足らずしか稼動しなかった遺跡かと疑問に感じる程、巨大な規模を誇っている |
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