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2015年5月3日 11:35
  

上記明治41年の地図 右 現在
比較
明治41年地図は尾根に道があり、現在の地図には何も記入がない。明治41年に無かった黄色い線が入っている。今、歩くのであれば黄色い線が歩きやすい。ハネズル山から赤星山に抜ける登山道だ。林業作業者も通る。だが、あまり歩く人のない道なので、荒れている。この登山道を第一次泉屋道と間違っている人がいる。伊藤玉男氏は「横がけ道」と呼んでいる。
 小箱越から5分弱歩いたところに 開けた場所がある。休憩所があったと思われる。
   この場所と、なすび屋敷が私のお気に入です。
この道まで 植林をしています。住友林業の山 広葉樹は眺めていると 気分が落ち着く
 
広い道が続く 歩きやすい 分岐 赤星山の方向に進んでください
 
まっすぐは尾根道 下る方が泉屋道 赤星山に行く登山道になっているので道はある
泉屋道と同じところと 違う所がある
 
こんな所 誰も通らないだろうな と思いながら。崩落している所もあります
 
植林地帯になる ここは登山道ではなく藪になっている
 
わずかに道らしき跡がある 道さえわかれば軽快に歩く事が出来るのですが
 
よーく見ないと作業道に迷い込む もうすぐ 出合峠です
 
出合峠
最初この石を見たとき感動した。別子銅山を研究している者で無いとこの感動は出来ないだろう。すごい存在感だ。私の記録によるとまだ3度しか出会っていない。 
 
別子銅山には境界杭が沢山ある。住友と他の所有者との境界を表す。たまにこのような石に井桁のマークが彫られている時がある。旧別子から遠く離れた所で見るのは珍しい。
  
付近にあった石 出会峠付近にあった平地。
 
小箱越の北側にももう一つ峠があり、そこは出合(であい)といった。出合とは、別子山、津根山、寒川山、岩原瀬山などから来た道が、この峠で出合うからで、そこには番所があって、一柳家の山役人が詰めていた。番所の側には小さな茶店があり、団子や葛餅の他に草鞋や提灯なども売っていた。(伊藤玉男著あかがね物語より  益友セレクション別子銅山第3集収録)
峠から小箱越方面に二百米位の所に、番所跡の石垣が残されている。
 
2012年06月10日
07:15 二ッ岳登山口出発
08:50 小箱越到着
09:30 分岐
10:50 出合峠到着
12:45 出合峠出発
13:35 分岐
14:05 小箱越到着
15:20 二ッ岳登山口到着
  参考
左記は 2012年6月10日の記録です。二ッ岳登山口までは県道分岐から車で10分ぐらいです。雨に弱い道なので通行禁止に注意。
長時間歩きます。迷わず歩いた時間です。

分岐から出会い峠までは、しばらく歩いていないですね。
 

制作  2012年12月12日