明治22年から120年あまりの歴史のある別子鉄道ですが
  上部鉄道 下部鉄道と2つの鉄道の中で駅舎が残っているのは
  ここ 星越駅だけです。
現在の星越駅  (2011年3月21日)  
  
星越駅が設置されたのは 大正14年5月です
下部鉄道が出来たのは明治26年5月ですから 開通から32年後に
星越駅が出来たことになります。

星越には何も無いところでした。地図でみるかぎり
王子権現があるだけでした。このあたりは
金子村前山と呼ばれていました。現在は星越と言っています。
大正14年4月に 星越に選鉱場を造り ここに駅を作りました
星越駅が出来た大正14年当時は
新居浜港線(昭和11年)国鉄連絡線(昭和17年)は
まだ ありませんでした
選鉱場の鉱石運搬が主な作業で 鉄道の乗車人数は
大正元年から昭和3年までは1日平均48人となっていますので
人を乗せるのは重要ではなかったようです。
星越駅の部分を拡大してみました。
現在も残っている駅 そのものですね。
大正14年完成の駅舎ですね。
ちなみに新居浜駅が出来たのは大正10年です。
今の駅は3代目だそうです。
別子300年の歩み 86ページに開設当時の写真が掲載されています。星越選鉱場が中心の写真なので星越駅は端っこの方に写っています。駅の前にある社宅など全くなく空き地になっています。
  
写真集 明治大正昭和新居浜の12ページに掲載されている星越選鉱場の写真です。上記の写真より少し後のようですが撮影年月日は記されていません。
星越駅 「100年新居浜・西条・東予」061ページより
写真集 明治大正昭和新居浜の26ページに掲載されている星越駅プラットホーム側からの写真貨車の後ろに客車を連結しています。
撮影は昭和10年ごろ SLですね。
SLは昭和31年まで走っています。と言うか当時の機関車は SLのみだったのですね。
昭和10年はSL機関車は13両あり磯浦駅(正確には高線があったので港の積み込み口)から端出場まで走っていました。
  
平成22年10月31日に 末岡照啓氏の講演があった。
「別子銅山が育んだ社宅街」と題して1時間半ほど熱演されました。そのときのパンフレットが上記のものです。そのパンフレットに使われた写真に星越駅が写っています。
拡大してみました。右の赤丸は星越駅です。左の丸は 交番との事。この講演の時ここが交番だった事を知りました
星越駅のある新居浜選鉱場は いま解体中です。
施設も古く 使用していないので 保存は無理と判断しての解体だと思います。
星越駅は保存されるようです。

この交番も歴史のある重要な建物だと、話されていました。
  
赤茶けた威容を誇る産業遺産が姿を消すー。
大正期に建設され、別子銅山の発展を支えてきた新居浜市の新居浜(星越)選鉱場。
所有する住友金属鉱山は15日までに、安全管理上の理由で8月から撤去解体工事を始めることを決めた。丘陵地にそびえる選鉱場は、周辺の星越駅舎や山田社宅とともに市民が郷愁を感じてきた風景だけに、解体を惜しむ声が上がっている。
------ 2010年6月16日の朝日新聞より---
  
作成 2011年3月21日

  
 2023年4月2日撮影
 
2017年6月20日撮影
  
 
2015年7月22日撮影
 
2014年6月26日 交番跡
2013年3月7日撮影
 
2024/02/21