撮影 和田義邑氏 撮影年月日不明 昭和37年ごろと思われる。
  
端出場発電所は谷の水を集めて発電していた。雨の降らない時は、水量が少なくなり電気が足りなくなる。住友のお偉いさんが考えた。「そうだ!七番川をせき止めてダムをつくり水を貯めよう」となって出来たのが「七番ダム」である。  ??
  七番川 流域面積 23.92㎡  取水量 1.2㎥/s
外観はアーチダムと見間違うような曲線ダムであるが、安定計算上は完全な重力式ダム。堤体表面に石張りを行い、内部は玉石25%にコンクリート65%、モルタル10%の貧配合ながらコンクリートダム。上下流の型枠を省略し、一体として打設したレヤー工法により施工と推定する。
  吉川氏著「旧端出場発電所設備概要と解説」より
 
流れ込みタイプの端出場発電所では、渇水時や日常の電力需要変動に対応する運転は出来ない。この障壁は大きく、貯水池の必要性は強く望まれ、七番川に貯水池を設ける計画は必然的に発生したと考えられる。
昭和3年3月23日土佐吉野川水力電気(株)より愛媛県知事に出願している。
最初の申請願書は高さ118尺(35.75m)幅190尺(57.57m)貯水量478,472m3、中心角104°上流面半径型のアーチダム案である。
この案は、ほぼ現別子ダム地点に定半径タイプのアーチダム、コンクリート、厚さ12,2m~1.81m。洪水吐きを右岸側山腹に設ける案である。ダムの安定計算は円筒理論と弾性理論法を組み合わせた計算を行っている。この案は県を通じ当時の内務省に打診されたが、「本邦に未だ類例無き工事に属する」として認可の困難性を指摘され、発電運用上早急な貯水池確保が必要とし早期着工を希望。重力式ダム案に変更し、申請、認可されている。
  吉川氏著「旧端出場発電所設備概要と解説」より
 
  
前例がないという理由で、アーチ式ダムは見送られた。もし許可になっていれば、日本初のアーチ式ダム(黒四ダムのような)が見られた。日本で最初にアーチ式ダムが完成したのが島根県の三成ダムで1958年である。七番ダムより29年後である。
設計者の無念さがわかる。
明治末より大正期の電力需要は、近代化の進展により著しく増大する。この需要増
大には電源増設しかない。これを見越し別子の電源設備では多くの設備で、増強案が
配慮されており、需要に併せて増設が行われている。
七番川取水設備と大部分の取水路は別子ダム建設により撤去された。
取水堰・取水口は現別子ダムの中心軸(上流面直下)に位置していた。取水堰は高さ
2.5m幅105m堤幅15m~3mコンクリト堰。右岸寄りに角落を設置。取水は右
岸側幅2.28mより行い、七番川水路となる。
七番川ダムの出願理由には発電の他、国領川での灌慨用水増加効果について言及し
ており、関係者は水利権の重大性を充分に認識している。この水利権は後年の吉野川
分水の困難性を考えれば大きな既得権である。昭和36年国領川総合開発や工業水利
権の理由付けに大きく寄与している事は間違いなく、新居浜市の発展、住友企業群の
発展に大きな原動力を与える。灌瀧用水についても同様であろう。鉱山としても坑内
七番川ダム建設(昭和5年)
香川県の豊稔池堰堤(1930)国登録有形文化財に匹敵するダムである。豊水期は湖底
に沈みアッピール出来なのが残念
ダム有効貯水容量 単位千㎥
七番ダム 359
別子ダム 5420
鹿森ダム 1310
富郷ダム 47600
 石ヶ山丈貯水槽 1.15
形式曲線重力式ダム 
曲率半径上流面94522m
高さ25.455m 基礎岩盤より非越流部頂まで
堤頂長71.817m  堤体積15,483㎥
堤頂 EL 821.818m  最高水位 EL 81.9069m
貯水容量479,394㎥ 湛水面積89,653㎡
有効水深24.42m  有効容量359,726㎥
電力換算712,800KWH
堤頂幅6.061m 堤下部幅21.091m
玉石入りコンクリート
土砂吐き管 内径0.914㎡条
水抜管内径0.303㎡ 2条
設計洪水量2000個(56㎥/s)
完成昭和5年9月1日   昭和41年2月別子ダム湛水、水没(下部に円孔を設ける)
撮影 和田義邑氏 撮影年月日不明 昭和37年ごろと思われる。
  
別子ダムについて触れておこう
昭和32年、愛媛県は、「国領川総合開発事業」を立案する。出来たのが鹿森ダムと別子ダム。別子ダムは着手1961年。竣工 1965年であった。僅かの下流に大きな別子ダムが出来たので、七番ダムは別子ダムに水没してしまった。
七番ダムEL=821.5  別子EL=ダム847.9  ELとは分かりやすく言えば標高の事。 別子ダムの方が26.4m高い。 別子ダムに26.4m水が少なくなると七番ダムが現れる計算になるが、水面の高さからすると25mでも現れるようだ。
 最近では 2022/3/10 2015/11/11 過去にも 2009/06/17があるが別子山に住んでいないので詳しい事は分からない。別子山村役場にあったアルバムにも渇水期の様子の写真があった。年代不明
手前の水面が濁っている所が七番ダム。少し顔を出した。奥の方に別子ダムが見える。
 
七番ダムが顔を出すことがある。渇水期である。
2009年6月19日 七番ダム現れる。こんなに顔を出すのはめったにない。恥ずかしがり屋です。
奥の方に木の欄干が」見える。すいぼつしていたので腐っていない。 鉄の部分は錆びているが、当時の面影がある。ガラス製(たぶん)の街灯は見当たらない。
2022年3月10日 この日から気温が上がり、雪解け水が流れ込み、水没する。
ダムの底に取水口があってダムに貯えた水を送水するのだが 七番ダムには取水口がない。
どう取り出すかと言うと、水門を開けて下流に流し、 それを途中で受け止めて、日浦通洞に送るのである。その水路が、破壊されているが痕跡が残っている。
七番川取水設備と大部分の取水路は別子ダム建設により撤去された。取水堰・取水口は現別子ダムの中心軸(上流面直下)に位置していた。取水堰は高さ2.5m幅10.5m堤幅1.5m~3mコンクリト堰。右岸寄りに角落を設置。取水は右岸側幅2.28mより行い、七番川水路となる。
両岸は急峻な岩盤が露出し河床は新鮮な岩盤である。堆砂は少なく甌穴のある急流部で、別子ダム築造時岩盤掘削はせず、直接河床岩盤上に築造したくらいである。水路は総長460.7m、右岸側をレンガ造りの開渠(幅75cm・高さ75cm、建設当初は高さ0.45m)延長約219m勾配1/80。急斜面な山腹に石積みで水路敷を確保している。
七番川を水路橋は、スパン10.8m、トラス橋。何度か改修されいる。水路は木樋。水路は左岸側に移り155m、レンガ造り水路、沈砂池を経由し、トンネルとなり(49.12m幅0.9m 高さ1.2m 勾配「1/4.5)で8番坑道の坑内水路に合流する。この水路は開渠上部に木板通路がある。7番川ダムへは、日浦坑口より右に折れ旧別子への山道を登り、途中から水路に降り、上流に水路伝いに歩き、取り入れ地点より急坂を上り七番川ダムに行く。独特の木蓋を踏む音が懐かしい。現状はほぼ流失しているが左岸側には水路痕跡が残る。
吉川氏著 旧端出場発電所設備概要と解説より
  
画像で説明いたします。
取水堰は高さ2.5m幅10.5m堤幅1.5m~3mコンクリト造り。この上に別子ダムが出来たとある
 尚、七番川の名称は小足谷川合流点より上流を示し、合流点下流は銅山川となる(吉川)
ダムの工事中でも上流から水が流れてくる。この水を迂回させるために赤い線のトンネルを掘った。右の写真はその出口である。
上記右の写真は1965年ダム完成前年です。右の写真はダム完成時(1966年)3月末ごろで水が少し溜まり始めたころ。両方に堰がありここから端出場発電所に水を供給していた。堰から下流の水路は七番ダム当時の水路を使っていた。
昭和41年2月別子ダム湛水
「両岸は急峻な岩盤が露出」とあるように崖にへばり付くように煉瓦の水路が造られた。
 写真提供=黒川氏 (私は危険な所は苦手なので よう行かん!)
対岸に渡る。赤い線の所に右写真の橋があった。 七番川を水路橋は、スパン10.8m、トラス橋。
昭和28年6月22日久松愛媛県知事。七番ダム視察の時、水路橋を通る。撮影=和田義邑氏
右岸に残る水路 写真=黒川氏 沈砂池。ここで砂を取り除き、送水される。
  
沈砂池を過ぎるとすぐトンネルで日浦通洞内に送水される。
崖の所から奥に向かってトンネルが掘られているのだが、こちらから全く見えない。
 写真=黒川氏
続きは 取水の日浦のページに記します。
  
七番川ダム
調整池を持たない、自然流量に左右される水力発電所は、渇水期や日々の電力需要変動に対応する運転は出来ない。
端出場発電所はこの問題に直面し、貯水池の必要性は強く望み、七番川に貯水池を設ける計画は必然的に発生したと思われる。
資料によると、発電所完成4年後の大正4年、愛媛県知事に堰堤築造の出願が行われている。
その内容や前後の事情は不明。昭和2 年端出場発電所などの発電設備は、土佐吉野川水力電気に移譲され、昭和3年3月23日、土佐吉野川水力電気(株)の名義で、愛媛県知事に、七番川ダム建設の願を出願している。
但し、この事前交渉や、申請、ダム施工、完成に至る過程は、別子鉱業所が担当している。
当初計画案は、高118尺(35.75m)、堤頂長190尺(57.57m)、厚さ12,2m ~1.8m、総貯水量478,472m3、のアーチダ(資料1)としている。
当アーチダム案は、別子ダム地点上流約30mの位置に、本格的な定半径タイプのコンクリートアーチダム。洪水吐きは右岸側の山腹に設け、堤体からの越流設備は無い。
ダム安定計算は当時の米国で用いられた、円筒理論と弾性理論法を組合わせた計算手法で行われ、その計算書が残されている。
この計画は愛媛県を通じ当時の内務省に打診されたが、「本邦に未だ類例無き工事に属する」として認可の困難性を指摘され断念している。
別子銅山では安定した電力の必要に迫られ、アーチダム案を撤回し、早期着工を優先し、建設可能な重力式ダム案に変更し再申請している。
再申請したダムは、重力式ダムの断面を持ち、定半径のアーチ形状のコンクリートダム。
構造的には近代の重力ダム設計方法により断面形状を定め、平面的には両岸の岩盤形状に沿ったアーチ型としたもので、構造的なアーチ効果は考慮されていない。
国内で最新に属する高堰堤。ダム諸元は形式曲線重力式コンクリートダム 高さ25.455m(非越流部頂)堤頂長71.817m  堤体積15,483m3 堤頂高EL821.818m  最高水位EL 819069m 堤頂幅6.061m  堤下部幅21.091m 貯水総容量479,394m3 湛水面積89,653m2- 30 - 有効水深24.42m 有効容量359,726m3 電力換算712,800KWH(?)土砂吐管内径経0.914m  2条水抜管内径0.303m 2 条完成昭和5年9月1日 堤体表面は上下流面は石張り。内部は玉石25%コンクリート65%、モルタル10 %の配合。
一体で打設する、レヤー工法のためか、横方向の打ち継ぎ目は不明。
別子ダム湛水開始前、下部に直径4m の円孔を火薬を用い開削したが、充分な強度を有していた。昭和41 年別子ダム湛水で水没。別子ダム水位が満水より25m 低下すると当ダムの頂部が現れる。
当貯水池は、洪水調節操作はなく、発電水量を調節する調整専用の貯水池。洪水時の水を貯留し、渇水時に下流の端出場取水口に供給する。
この貯水池効果により、渇水時取水量は0.2から0.5m3/s に増加し、調整効率により年間発生電力量は712mwh 増加するとしている。
但し、この増加電力は過少で、数倍の調整効果を発揮すると思われる。詳細不明発電用水は水抜管より放水、一旦七番川に流し、取水口より端出場水路に流入する。
洪水時は左岸側の岩盤を開削した越水路より放流する。頂部の堰は高さ2m(有効1.2m 程度)の素朴な木製決泻板ゲート。木製の柱をワイヤーで支持し、出水時には留金を外し柱と板を倒し、洪水後再使用する堤体最下部の土砂吐管は、土砂排除専用管。
貯水池は深山の湖水、神秘的な感じの湖で、夏に水泳すると1m下は冷水であった。
冬は凍結し湖面が一面に氷結した、それ故かダム直前の水抜管は凍結防止用に空気を下部より噴出し氷結防止を行っていた。
昭和5 年に造られた、香川県の豊稔池堰堤(1930)国登録有形文化財に匹敵するダム。
何とか、当ダムをアッピールし、文化財として保存したいものである。
他、貯水池上流には、立派なコンクリト製のアーチ橋(資料2)が水面下に残している。
建設時期は不明だが、別子銅山が日浦から中七番に向かう炭や木材の運搬路として建設したもの。詳細不明。
         電力土木木者の語る端出場水力発電所より
  
資料1 電力土木木者の語る端出場水力発電所より
 
資料2 別子山役場アルバムより